スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

注目の投稿

えんとつ町のプペルを読んでみた。〜偽物の世界からの脱出劇〜

『えんとつ町のプペル』こちらで全ページ公開されています。イラストも全部見ることができますヽ(^。^)ノ→ https://t.co/xw3IgBRTIf — 六七質 (@munashichi) 2017年1月19日

 話題作の『えんとつ町のプペル』を読んでみた。全く感動しなかったのだが、それ以前に全く作品とは関係のないコメントや投稿ばかりが目立つので、なんとなく何か一言言いたくなった。絵本業界がどうたらとかクリエイターがどうたらとか、元々の物語とは一切関係がない金銭にまつわる変な論争ばかりである。アイドルとして売れた少女そのものよりも、アイドルとしての売られ方や業界、プロデューサーに話題が集中しているようなものである。これでは作品がかわいそうだ。

 なので、物語について、ちょっと書いてみたいと思う。暇な方だけ御付き合いください。

 そもそも私という人間は、世界をこんな風に捉えている。この世界に起こる全ての事象は、自分に何かを教えるために必然的に起こったものだと。だから「えんとつ町のプペル」という物語が、突然、話題作という形で、私の眼の前に現れたということは、この作品を通して、誰かが何かを私に伝えたいということである。だから、あなたにとっては、えんとつ町のプペルは違う意味を与えてくれるかもしれない。ただ私はこう捉えて解釈する、というだけのお話だ。そこのところ勘違いのないようによろしくお願いいたします。

 ちなみに作者の西野さんはこの物語についてこう語っている。

夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺

なるほど。ひどい現代社会だ。まぁ、物語は全て、風刺かメタファーかアナロジーとして受け取ることができるので。捉え方次第では様々な物語となるのだろうが。

 まず、感動する(何かを私に伝えてくれる)という目的で書かれた本だとする。だが、私は安易に感動できなかった。なぜプペルの物語に感動しなかったのか。絵はとても綺麗である。素晴らしい。本を買って絵を手元に置きたいと思う方がいるのは頷ける。だが、主人公プペルに感情移入しにくい絵なのである。愛らしい顔がない。ゴミだからではない、わざとそうしているのだ。書こうと思えば目の一つや二つは描けるものである。私は主人公のアップを探したが、表情をはっきり捉えることが叶わなかった。最後の一コマくらいか(この話は後で)・・プペルと…

最新の投稿

怪談・キャッチャー・イン・ザ・ライの蜻蛉たち 〜水事業という化け物と終戦記念日の靖国神社〜

幸せの黄色いひまわり・2017年度版 〜座間の豊かな水をめぐる往復1時間のひまわり散歩コースをご紹介〜