ライ麦畑でつかまえては神の番人だって嘯きながら森を歩く日曜日のこと。





ところで村上春樹はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の一番大事な一文を、「やけに心に沁みた」だなんて、手を抜きすぎだと思う。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と言った方がいいのか。あれは、主人公が小さな妹の中に神を見つけて救われた瞬間じゃないか。「ライ麦畑でつかまえて」の野崎さんがいう「無性にきれいに見えた」の方がまだ近い。原文通りに訳すことはないだろう。

「無性にきれいに見えた」、経験が最近あった。

近くの神社まで毎朝、ジョギングをすることにしたのだ。

鳥居の真横に佇んでいる一本木の銀杏がなかなか染まらない。


まだだ、まだ青い、まだ青い。


私は毎日、心を痛めていた。何度か、彼に触れて、こうささやいた。「もう秋だよ」

12月に入るとこう教えてあげた。「もう冬だよ」



周りには常緑樹ばかり。神木の椎(しい)だとか、あとは、丸裸になった桜の木。桜は別格。あれはどの木よりも素早く秋を察知する才能にたけている。自分だけさっさと染まって、さっさと落葉する利口な奴だ。だけど、銀杏の傍には落葉樹がほかにない。仲間が誰もいやしない。


神社に植えられた銀杏と言うのは、大抵一本木が多いのだ・・・




森へ出かけた。
神社とは反対方向にあるが、こちらもうちからすぐ近い。庭のような森に出かけた。

森ならば、落葉樹の楽園である。もう半年ぶりくらいに出かけるくせに、私はここならば、すでに冬の森を形成している、そうに違いない、と思い込んでいた。


あれは陽気のせいなんかじゃないよ。たとえそうでも、森の生態系、いや、森に住む者たちが、互いに季節を教えあうんだよ・・

ところが、この森もまだ秋なのであった。青いイロハモミジが一生懸命紅葉している。一生懸命。と言うのはおかしいが、樹木全体としてはまだ青い葉の群れ、その一部を懸命に赤く染めているんだから仕方ない。私は驚きを隠せなかった。まだ落葉してない。12月なのに、落葉できずに、するために、懸命に紅葉しようとしている。









どこも大変なんだなぁ。一本木の銀杏だけじゃないなぁ。でも、銀杏は、本来ならば、桜の次くらいに、イロハモモミジよりも早く紅葉して落葉してもいいはずなんだ。やっぱりあいつはとろい奴だ。

正直に言うと、森が冬になっていると信じたのは、たとえ異常気象やらなんやらで紅葉出来ないとしても、奴らは示し合わせて葉を落とし始めていると思っていたのだ。つまり、葉を付けたまま枯らし、ミイラ状になった枯葉をぱりんと落とす。そんな器用なこと、出来そうじゃないか?

鎌倉のモミジもそうだったよ・・・











私は森の樹木たちを利口者でちょっぴりあざとい集団みたいに捉えていたので、この染まる前に落葉してたまるか、と言った風情の必死の紅葉にずいぶん感動したものだ。

ごめん。

しかも、彼らはまるで、自分たちのためではなくて、私のために、この森に来るのが遅い私のために、秋のまま待っていてくれたようにさえ思えて来るのだった。


確かに今年は見逃したよ。燃えるような真っ赤な紅葉も、ススキも全然見れなかった。


だけど、まさか12月の半ば過ぎた、年の瀬も迫った今になって、「秋」を見れるとは思わなかった・・・


それで少なからず感動してしまったのだ。いじらしいな。一生懸命染まって、まるで私を待っていたかのように秋のままの姿でこの森はいじらしいなぁ。


奥へ進めば、やっと森の樹木たちは落葉を始めていて、私は本来の姿を見れた嬉しさと罪悪感を免れたようなほっとした思いで、背の高い、そう30メートルはある、雑木林の奴らの周りをすり抜けて落ち葉をかさかさかさかさ鳴らしながら勢いよく歩いて、裸木の天辺にいる威張ったカラスなんかを見つめてさ。そうして、私がこの森の散歩のいつも終着点にしている民家園まで小山を降りて辿り着いて、すると安心したのもつかの間、また秋がはじまっていく。



紅葉。ススキ。紅葉。ススキ。









陽に透けて鮮やかに染まる紅葉は、だけど反対側から見るとけっこう痛んでいて、手を触れるとあっけなく落葉した。

それでも、ミイラみたいに、ぱりんとは落ちなかったから、良かった。


秋を堪能しているうちに、私は本当にありがたくなって、さっき罪悪感とか思ったくせに、やっぱり見逃した「秋」に遭遇したことが嬉しくて、待っててくれたような気持も嬉しくて、頭の中では同じ音楽がぐるぐるぐるぐる回っていた。



ほんの数日前のこと、一本木の銀杏の木が、降るように落葉した朝があったんだ。

次の日にはまた落葉できない頑なな銀杏に奴は戻ってしまったけれど、その朝だけは、まるで降るように葉を落として、次から次へとはらりと落として、私は舞う葉を追いかけて、手を差し出して右へ、左へと走り回った。

捕まえたくてさ。


その日の朝に、聞こえた音楽が、森の帰り道にずっと鳴り響いていたんだよ。


あれは、なんていう歌手なんだろう。いつかラジオで偶然耳にして、タイトルがいまだにわからないけれど、讃美歌を謳うような美しい女性の声で、ディズニーの「星に願いを」のようにエンターテイメントなメロディーで、とても夢のある歌だった。


その曲が終いまでずっとずっと心の耳から離れなかったんだ。











「ライ麦畑で捕まえて」ふうに書いてみた日曜日の日記はこれでおしまい。


あの銀杏が次から次へと落葉する、冬の白い空から銀杏の葉が舞い降りてくる来る、あの景色を、君にも見せたかったな。


あれは本当にきれいだった。
まったく、あれは君にも見せたかったよ。







ところで、ライ麦畑で、キモとなる一文はもう一つある。最後の章の多分あれはエピローグ的な部分で、言い方はこうじゃないけど、こんなことを言っている。


「いろいろあったけれど、それでも今じゃ君がいないのがさみしいよ」





写真をスライドショーにしてみました。
曲が見つからないので、ビューティフルサンデーに乗せてみました! ↓





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