鉄道に乗って東北へ出かけよう! その⑥ ~田舎館の田んぼアートと命の輝き~



 命の最後の輝きを見てしまったせいだと思う。あのセミとあまりにもよく似ている。しがみつく姿もそのままだった。田舎館村展望台でアカネトンボを見たときに、私はどきりとしたのだった。どうしても写真に撮りたくなった。

 今年の夏の終わり、あれは私が3ヶ月間のアルバイトを終える最後の日の午後のこと、事務所の外に出た私の後ろで、羽音が響いた。振り向くと、今出たばかりの扉の前にセミが転がっている。弱って樹木にたどり着けなかった個体だろう。どこからか飛んできて、扉に当たり、そのまま力尽きた。ジジ・・という鳴き声が止まり、天に向けた足をわずかに動かして、それから動かなくなった。

 空は晴天の青だった。こんな真夏日に命を終えることを哀れに思いながら、恐る恐る手を差し出すと、意外にもその指に捕まろうとして、また足を動かし始めるのだ。最後の力を振り絞っているように感じられた。
 私は力を貸して、やっと指に乗ったセミを、庭のサツキの生垣まで連れて行った。その土の上に乗せようと手を地面に向けた。
 ここなら誰かに踏まれることもない。安心して、土に帰っていくことができるだろう。
 死に場所を与えたつもりでいたのである。
 ところが、セミは私の指の上から、どうしても、土に降りようとしない。しばらく待ったが、動く気配はない。手を払い、セミを落として、また仰向けの姿勢にするのも心が痛んだ。途方に暮れていたら、空から別のセミが飛んできて、ハナミズキの木に止まった。生垣から1本だけ生えていた植樹、その木に止まった途端、ものすごい勢いで鳴き始めた。
 しゃがみ込んでいる私の目線のすぐ上だった。こんなに目の前で鳴いているセミを見たのは、生まれて初めてのことだった。まるで迎えに来たようにも見えた。けれどもう鳴いて応えることもできず、今まさに死に往こうとしている一匹。傍らで鳴き続けるもう一匹、ふたつの命。

 この一連の出来事に驚き、感じ入った私は、鳴くセミが飛び立って去ったあと、試しに私の手から動かないセミをハナミズキの枝に近づけてみた。
 すると、セミはそろそろと足を動かし、あっけなく移動したのである。まさか木の枝にしがみつく力が残っているとは思わなかった。空に向けて伸びる枝の上の姿は、そのままセミ自身が今にも空に向けて飛び立つ準備を整えたかのようである。飛行機の離陸の勇姿を思い浮かべた。セミはあんなふうに、自身の頭を持ち上げて、誇らしげに枝に止まっている。
 私はセミに別れの言葉を伝えた。おそらく後で見に来たら、このハナミズキの枝の下に彼の死骸を見つけることであろう。不思議なものだ、たとえ死ぬとわかっていても、土の上は嫌なものなのだなぁ、やはり木の上がいいのだなぁ・・ 
 セミの最後の、命の輝きを見たように思った。
 2時間ほど経った後だろうか、生垣を見に行った。けれど、どんなに地面を探しても、セミは見つからなかった。もちろん枝にいるはずもなく、私は狐につままれたような思いがしたものだ。扉の前で、あのまま倒れていたら、すぐに死んでいただろうに。まさか本当に飛び立ったのだろうか?


 季節は秋に変わった。タクシーは収穫途中の田んぼの中を走っていく。川部駅から10分もかからない。20周年を迎えた田舎館村田んぼアートは、地域の顔となりすっかり定着し、今年も大勢の観光客が訪れた。村役場が12万3千人、道の駅いなかだてが10万3千人。昨年の15万人には劣ったが、有料化を開始した年にしては、予想を上回る減少数ではなかったという。

 「青森のお米は美味しいですね、一度旅行先で食べてから気に入って、それからはよくスーパーで買うようになりました」
 運転手に声をかけると、それは水がいいからです、と教えてくれた。その誇らしげな様子を好ましく感じていた私は、次の瞬間、言葉を失った。

 「でも今年は少し、水が悪かったんですよ。今年の夏の暑さで、水路に水草が大量に生えたせいでしょうが、水が臭くて」

 岩手、宮城、福島では、塩分を含んだ地下水によって収穫直前に米が立ち枯れたり、検査のために食べられないとわかっている米を育て、刈り入れ直後にすべて廃棄するという農家もあったと聞いていた。夏の暑さだけではないのではないか。青森でも少なからず、震災の影響が受けているのかもしれなかった。

 運転手は消沈する私を励ますように、田舎村役場が見えて来たことを教えてくれた。

 「ほら、あのずっと先に、天守閣が見えるでしょう」。さも可笑しそうに微笑んで、南の建物を指差すのだった。




田舎館村村役場 天守が展望台に

田んぼアートの稲を下から見たところ 黒いものもあった

田んぼアート 今年のテーマは非母観音と不動明王 天守閣の影が写っている

田んぼアート 展望台からの眺め 見頃は青々とした稲穂の6~7月くらいか



 タクシーを降りると、時刻はちょうど16時だった。どうやら展望台の最終入館の時間に間に合ったようだ。入口には警備員が立っていて、入館料の個別券の買い方や展望台へのエレベーターの方向を教えてくれる。入館に並ぶこともあるようだが、この日は見学期間の延長日で、閉館間際ということもあり、静かなものである。
 展望台は村役場(あの天守)の6階だ。エレベーターで4階まで行き、4階からは階段を登った。5階に休憩所とカフェがあって、スタッフの女性 ―黄色のはっぴを着た年配の1人と、喫茶店に務める若い1人― が快い笑顔で歓待してくれる。

 「じゃあ時間がないですね~ あまり話しかけたらだめですね」
 「どうぞゆっくり見てきてください」

 若い女性のあとを引く物言いが気になって、展望台を見たあとにまた立ち寄った。奇しくも女性は私と同じ名前だった。以前、私の住む街のすぐ近所に住んでいたという。

 「神奈川に憧れて。家を持ちたかったんですよ」

 青森に憧れて、できれば家を持って住みたいと願っている私と、まるで入れ違ったようである。不思議な縁を感じて、連絡先を交換し、再会の約束をした。
 「青池」での不思議な体験をしてからというもの、私は出会う人々に注意深くなっていた。弘前の刃物店で感じた想念、その方の前に私が現れたことは偶然ではなくて意味のあることではないか? 重要なことではないか? という心象を思い起こさせる人に出会うと、より深く関わることを厭わなかった。それまでの人を敬遠しがちな私とは別人のように、自ら積極的に、この相手にできることはないかと探しているのだった。

 天守に着くと、東側の田んぼアートと西側の岩木山を交互に撮った。田んぼアートには、天守閣の長い影が落ちていた。残念ながら絵柄の部分以外の稲刈りが終わっていて、青々とした稲が茂る見所時期と比べると決して見栄えがいいとは言えなかったが、それでも刈り入れた稲がくいかけに干され並んでいる様を見ると感慨深い思いがした。

 順路を一巡して、大体の写真を撮り終わった時、展望台のネットにひらりとトンボ ―おそらくナツアカネかアキアカネ― が飛んできて、止まった。
 私はそのトンボにくき付になった。初めはなぜ6階にトンボが飛んできたのか理解できなかった。次にトンボの羽が痛々しく破れていることが気になった。産卵を終えた雌が上がってきたのか、それともこれから田んぼに降りてその場所を探すところか、いやもしかしたら不完全な雄だったのかもしれない、黄色がかった色と淡い茶色との縞の体の個体だった。
 私は去年マクロ撮影でトンボを撮ることの喜びを見つけたものの、今年は一度も撮ることがかなっていなかった。なかなか撮りに行けなかった。また時間を見つけて撮りに出かけても、まるですねてしまったようにトンボたちは私の前に現れなかった。つまり、一度も彼らに遊んでもらえなかったのだ。しかしそれにしても、だからといって遊びに出てきてくれたとは思えないほど、トンボは心もとなかった。風が吹くと、羽を前にすぼめて、今にも吹き飛びそうである。6本の足で必死にネットにしがみついている。けれど持ちこたえると、また傷だらけの羽を広げては、西陽にその美しい網目模様を晒してきらきらと輝かすのであった。
 あの夏の終わりのセミととてもよく似ている。もう弱りきった痛ましい姿でありながら、最後の力を振り絞って、命を輝かしている。

 どうしても撮ってあげなくてはならないと感じたのだった。閉館間際に、わざわざ田んぼアートを撮りに訪れたというのに、私は最後の時間のほとんどすべてをトンボ撮影に費やした。一眼レフカメラの望遠とコンデジのマクロ機能を使って撮り続けた。少しでも綺麗に、その姿を残せるように。その間に、観光客が次々と登ってきた。展望台が賑やかになり、これ以上ネットの前に居続けることが難しく感じられた頃、私はやっと撮ることをやめた。トンボに最後の言葉をかけて、展望台をあとにした。警備員と少し話をして、自分の姿を記念に撮ってもらい、そうして帰る前に、トンボのいる辺りを振り返った。
 あの夏の終わりの1日と同じように。まだいるだろうか、それとも飛び立ったか、もしくは力尽きて、地に落ちて、消えていなくなっているだろうかと恐る恐る見た。

 
  

くいかけの稲穂が並んでいる

今年初めて見た岩木山 5月の旅行の時は雨で姿を現さなかった

展望台に飛んできたトンボ 必死に掴まっている


破れた羽が痛々しい

 

 アキアカネはけれどまだそこにいて、先ほど見た姿と同じままに、ネットにしがみついていた。風に吹き飛ばされる様子もなく、羽をしっかりと広げていた。
 私は安心した。最後に別れの言葉をかけて、田舎館村役場をあとにした。
 
 夕陽の田園風景を急ぐ。今度は弘南線で黒石まで行くのだった。警備員に聞いた話では、東へ向かう道をまっすぐ歩けば、弘南線の田舎館に出るという。黒石から弘前への最終電車の時間が迫っていた。気が急いて走りかけた時、ふと足元に見て、私は心臓が止まるほど驚いたのだった。

 展望台のアキアカネが、道端に、落ちていた。

 まさか。いや、そんなはずはなかった。近づいてよく見ると、別の個体だった。色も模様も明らかに違う。けれど同じ姿をしていた。あのネットにしがみついた姿とまったく同じように、綺麗に羽を広げて、何かを掴むように6本の足を前に揃え、そして仰向けに転がっているのであった。
 
 可哀想に。私は死んだトンボの羽を捕まえて、近くの生垣の土にそっと置いた。あのセミのように足を動かしたりしないかと一瞬期待したが、トンボが動くことはなかった。

 たかがそれだけのことである。死にそうなトンボと、死んだトンボを、同じ日の数分違いで目にした。やはり二匹のセミのことを思い出した。それだけのことだ。
 それなのに、私は不思議でたまらない。あの命の輝きを思わせる最後の姿が、目に焼きついて離れなかった。
 命は限りある。たとえ昆虫でさえ、そのひとつは尊くて、美しい。
 私も同じように、一生懸命、限りある命を生きていかなくてはならなかった。みすみす死んではならない。最後の力を振り絞るように、輝かなくてはならなかった。

 そろそろ陽が沈む。西を振り向くと、まさに今岩木山の横に夕陽が沈みゆこうとするところだった。慌てて踵を返した。辺りを見回して、田んぼの中に駆け込んでいく。
 あぜ道の隣の家の屋根の上に、農夫が1人佇んでいる。何か手入れをしているようだ。写真撮っていいですか、と声をかけると、快く頷いた。稲穂の垂れる田んぼの真ん前から夕日を撮ろうとあぜ道を突っ走る。草が鳴る。カエルとバッタが驚いて飛び上がった。目を凝らしたが、あっという間に消えてしまった。


岩木山のすぐ横手に日が沈んでいく

田んぼの稲

収穫した稲をくいがけにして乾燥させいてる様子 一つずつ藁の傘を巻いていた



 命の終わりを見て、そして今日の陽が沈んだ。どこで夕日を迎えるか、いつもの写真旅行ならあれだけ考えることを、今回に限ってまったく想像していなかった。田舎館から弘南線に乗って、撮り鉄をするどころではなかった。駅に着いた時には、もう辺りは真っ暗である。
 買い換えたばかりの5Dのフラッシュをまだ買い揃えていない。コンデジのそれで何とか駅舎を撮る。本当に電車が来るのだろうか。廃線電車の構内のようだった。
 時刻表を見ると17時24分の弘前行きと黒石行きが同時に到着する。あと少しだった。私は闇の線路に佇んで、両足を広げて踏ん張った。
 踏切の信号音が高らかに鳴り響く。弘前行きの方がわずかに早い。まずはそっちからだ、とレンズの標準を合わせる。ホームに滑り込むまで連写を続ける。振り向いて、次は黒石行きだ。1枚でいいから映りますように。そう願いながら、フラッシュもなしで、電車の前照灯(ヘッドライト)の光だけを頼りに撮り続けた。



田舎館村駅に到着 時刻表はあるが本当に電車は来るのか

ホームも真っ暗 路線案内にも表示されない 廃線ではないかと思ったとき・・

キターーー!突然踏切の警告音が鳴り、電車のライトが見えた

弘南鉄道弘南線 黒石行

弘南線の電車の中

終点黒石駅の車掌室に飾られているこけしたち

黒石から今度は弘前行に乗る

翌日のホテルからの朝日 一生忘れられそうもない朝だった




 黒石行きの扉が開いて、高ぶる心のまま乗り込んだ。終わった。本当は平賀か舘田で、撮り鉄をする予定だったが、岩城山が見えるでもない、恐らくこれが最後だろう。また弘南線はワンマン列車のため途中下車ができなかった。だから実際、私の撮り鉄の旅は、この僅かな一瞬が実質的に最後となったのだった。

 終点の黒石駅前と構内を見て回り、20分後の弘前行きでとんぼ返りをする。19時19分、弘前駅に到着。途中下車ができないと教えてくれた運転手に切符を見せて降りると、

 「お客さん、明日もいられますか?」
 「いえ、もう明日は帰ります」
 「そうですか。いや、なんだったら、乗り降り自由のフリーきっぷがあるものですから。弘南線と大鰐線でも使えます」
 そう教えてくれるのだった。それならいくらでも写真が撮れることだろう。

 「きっぷもね、改札で駅員に言えばもらえますから」
 「ありがとうございます。今度ぜひ、フリーきっぷを使ってみます」

 今度は昼間に来よう。陽の沈む時間を調べて、岩木山を背景にきちんと撮ろう。
 それにしても、東北の人はみんなどうしてこう暖かいのだろう。それとも人間すべてがそんなものだっただろうか。私は長いあいだ生きてきて、それでも、そんなふうに感じたことはそう多くはないのだった。

 いいなぁ。ここは暖かい。またぜひ来たいものだ・・

 思いを抱きしめて、ホテルへと帰っていく。
 長い1日だった。いろんな人と出会い、語ったものだった。


 夜のホテルで、疲れた体を横たえた。けれど心は満たされていた。備え付けられた大型の液晶テレビの電源を入れると、テレビ映画が放映している。久しぶりに見て眠ろうか。
 何年ぶりだろう。それはヒーローもので、ヘタレの彼が友情と愛情に支えられて、めでたく敵を倒すという、ハリウッド映画らしいストーリーだった。恐らく、そうだろう。途中から1時間ほど見ただけなので、はっきりとは言えない。
 しかし、印象的だったのは、彼が新しい武器を手に入れて、今までよりも数段とパワーアップしたというところだ。それだけは、はっきりと胸に残っている。
 願うならば、今日の私もそうでありますように。
 あのセミやアキアカネのように誇り高く、終を迎えられますように。
 この夢が続くことを祈りながら、眠りについた。

 

 

※その⑦に続きます。月曜か火曜の夜にアップします^^最終回です、また見てね~


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