山陰旅行編② 竜神さまと雨の神迎祭




 山陰旅行編の続きです。

 山陰旅行編① 神話の出雲市から石見神楽の大森へ


 
 旅に出て、何がいいかと言えば、まったく知らない人と思わぬ出会いがあったりすることです。
 島根鳥取の山陰旅行の帰りのバスで、30代くらいの女性と隣り合わせました。
 彼女は神迎祭と神在祭に参加したくて鳥取を旅したとのこと、現地でやはり出雲大社を旅行していた青年3人組と知り合って、一緒に島根県を巡ったそうです。
 おかげで旅が楽しかったと、とても生き生きと話してくださいました。

 私は神迎神事と神在祭で、人の多さに多少辟易していたものですから、彼女にこう訊ねました。

「神迎祭と神在祭になぜ行こうと思いまいたか? どこが良かったですか?」

 そもそもは友達から教えてもらったそうです。全国の神様が集まるという神在月の出雲の国に興味を持って、ぜひ行ってみたいと思ったそうです。
 神迎祭と神在祭に関しては、

「とても神秘的だった」

 とおっしゃっていました。
 特に神迎祭、中でも神迎神事が良かったそうです。

 ちなみに、神迎神事とは国譲り神話の舞台である稲佐の浜で、神在月の出雲の国にいらっしゃる八百万の神々をお迎えする催しのことをいいます。
 夕刻7時、稲佐の浜に御神火が焚かれます。注連縄が張り巡らされた斎場の中に神籬(ひもろぎ)が2本、傍らに神々の先導役となる竜蛇神が海に向かって配置されます。

 竜蛇神はもともとは荒れた海に打ち上げられるウミヘビでした。背は黒色で、腹はオレンジ、夜に泳いでいるところを照らされると、まるで火の玉が近づいてくるように見えるそうです。
 ウミヘビはお鎮まりの大国大神のお使い神であり、八百万の神が出雲に来られるときに先導される神だと信じられて、人々から信仰されて来ました。豊作や、豊漁・家門繁栄、人々は竜蛇神を祝福をもたらす神、「竜神さま」とお呼びしました。
 
 神事が終わると、神籬(ひろもぎ)は両側を絹垣で覆われ、竜蛇神を先導として、高張提灯が並び奏楽が奏でられる中、参拝者は稲佐の浜から出雲大社への「神迎の道」を歩きます。

 その後、出雲大社神楽殿において国造(こくそう)以下全祀職の奉仕により「神迎祭」が執り行われます。これが終わると、ようやく神々は旅(宿)社である東西の十九社に鎮まられるのです。

 バスで隣り合わせた彼女は、目を輝かせて言いました。
「神迎神事は毎年不思議みたいなんです。昨年の神迎祭は雨だったんですけど、神様がちょうど浜に着いた頃に雷鳴が起こって、空が光ったそうです。今年はやはり神様が着いた頃、雨が上がって、月が輝いたんです」
 
 横浜駅で、彼女と別れました。これから仕事だと言っていました。スカイブルーのコートが似合う、笑顔の綺麗な女性でした。


 神迎神事、実は私は彼女のように神秘体験はできなかったのです。先程も言ったように、人が多くて、何が行われているかもさっぱり見えませんでした。
 月が出たことも知りませんでした。
 ただし、私の隣では、へこたれた私の代わりに、私のコンパクトカメラを高く上げて、神迎神事を写真に撮ってくれる友人がいました。
 旅は思わぬ出会いがあるものです。そこだけは彼女と同じでした。
 


 さて、その出会いのお話の前に、私はまだ石見銀山で石見神楽を見ているところでした。
 演目は「天神」です。激しい剣の舞でした。
 大量の写真の中から少しご紹介して、その後に、天神様と出会いのお話を続けたいと思います。
 















 天神とは、あの学問の神様で有名な菅原道真です。
 菅原道真を崇敬の対象とする天神信仰は、八幡信仰、伊勢信仰に続いて人気があります。神社数も全国で3番目に多いのです。
 平安時代の貴族であり学者であり政治家であった右大臣・道真が、なぜ全国区の神様=天神様になったのかと言えば、太宰府に左遷された末に、失意のどん底で死んだから・・ 不思議ですがそんな神様とは無縁の理由です。

 道真は才能が豊かだったものですから、時の左大臣・藤原時平に妬まれたのですね。
 ちなみに右大臣と左大臣は左大臣の方が位(くらい)が高いのです。時平は格下であるはずの道真を妬み、おそらくはその才能を恐れたのでしょう。無実の罪を天皇に告げ口して、京から道真を葬り去ったのです。
 道真の死後、京では禍い(わざわい)ばかりが起こりました。日照りに疫病、天皇の皇子は次々と病死し、天皇の御陵である清涼殿には落雷が落ちました。大勢の方々がなくなりました。
 これが道真の祟り(たたり)だと考えられたのです。
 
 朝廷は驚くべきことに180度態度を変えて、今度は罪を赦すと共に贈位を行りました。死んだ道真にです。子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返されました。
 禍いと道真の死を結びつけ、祟りだと恐れたところから察すると、朝廷は道真の無実を知っていたのですね。理不尽な処罰であったことを知っていた、だから怨霊に祟られたと思った。

 道真の怨霊は清涼殿落雷の事件の後から、雷神と結びつけらるようになりました。
 元々の火雷天神は天から降りてきた雷の神とされており、雷は雨とともに起こり、雨は農作物の成育に欠かせないものであることから農耕の神でもありました。各地に火雷天神が祀られていました。それが道真と同一視されたことから、各地に祀られていた天神もまた道真である、とされるようになったのです。

 ところで面白いのは、神迎祭の時に「竜神さま」のお話をしましたね? オレンジの火の玉に見えるという竜蛇神です。
 蛇は水神として信仰され、川や池沼の神として農耕の神となり、雨と結びついて雷神となりまた海の神ともなり豊漁を祈り、また龍宮の神とも呼ばれてきました。
 ん? 「竜神さま」ももともとは「天神」と同じ雷神ですか? 

 このあたりは民俗学とか歴史の詳しい方にぜひお尋ねしたいところですが、天神と竜蛇神は関係があるのでしょうか。
 どちらも雷の神で、農耕の神です。素人考えで聞いていると、水神が竜神になり、天神になった、と・・ では、神迎祭で八百万の神を導いていたのも天神様? 
 などと飛躍して考えてしまうのですが、そのあたりをぜひ伺いたいものですね?

 さて、説明が長くなりましたが、「天神」はそういう物語です。
 怨霊・菅原道真は左遷された太宰府で命の終わりを迎えますが、悔しさのあまり、魂が昇天できません。そこで、雷神となって、ついに京へと上がります。藤原時平を討ち取って、やっと魂が救われるのです。














 私は見ている時に天神の物語をまったく知らなかったものですから、とても残念に思いました。この激しい剣の舞は、誰と誰が、何のために、戦っているのか、もしもそれが分かれば、もっと違う思いを持って、石見神楽に感じ入ることができただろうにと思ったのです。

 仮設ステージの前のベンチで私たちは観ていました。演目が終わると、隣の紳士が、ご旅行ですかと訊ねて来られて、ありがちな会話が始まりました。どちらからですか。神奈川です。

 私は思い切って、天神の内容を訊ねました。

「これはどんな物語なんでしょう」

 すると、紳士は、しばらく考えてから、何でしょうね、まぁ、一般的なものですよ。とか、一番の定番ですよとか、そのような言葉を返されたので、私は黙って頷きました。それ以上訊ねたら、一般以下です。無知丸出しなので、知ったかぶりをして、なるほどと神妙に頷きました。

 紳士は私の父親よりも少し若いくらいの年齢でした。それで、私は安心をして、楽しく旅の話を始めました。石見神楽を見ているうちに、私の石見天山巡りの時間はほとんど終わりかけていたので、次は出雲大社に向かわなければなりませんでした。すると紳士は、では連れて行ってあげましょうと提案してくれました。

 ここからは、今になって思う、私の夢想なのですが、紳士はまるで先導役の「竜神さま」のように、私を稲佐の浜まで導いてくれました。
 竜神さまはそもそもが水の神です。雨と結びついて雷神になりました。そして夕刻から雨が降った一日に、竜神さまと同じ雷神の神楽を見た時、紳士は現れました。
 雨の黒い背は黒い車です。夜になると照らされるというオレンジの火の玉は車の前照灯のようでした。
 もちろん私は八百万の神ではなく、ただの旅行者の人間でしたが、神々が集まる場所へ立ち会いに出かけるのです。旅の出会いだけではなくて、もしかしたらほんの少しの神秘が舞い降りたのかもしれません。



 
石見 石見城跡



 紳士はとても明るい性格のようで、神迎祭でもお蕎麦屋さんでもどこでも初めて会う人たちとすぐにお友達になって、周りを明るい笑顔に変えてくれました。
 また、雨の降りが酷くなった一時も助けられました。旅行前から、私はこの日の雨予報をずいぶんと気に病んでいたのですが、おかげで濡れてことさら寒い思いをすることもありませんでした。

 
 石見銀山公園で石見神楽を見た後、氏の車で岩が切り立った山を見に行きました。とても大きな岩山でした。
 石見城(いわみじょう)跡です。仁万平野の南東端に位置する標高153mの天然の要害である龍嵓山(りゅうがんさん)に築かれた城の遺跡です。
 16世紀、石見城は、石見銀山に至る街道沿いを押さえ、重要な軍事拠点の役割を担っていました。戦国武将が銀山の領有を争っていた同時代、仁万港から上陸して街道沿いに銀山へ侵攻しようとした敵兵に、にらみを利かせていたようです。
 また、その壁を這い上がるノウゼンカズラは、秋に美しい紅葉を見せる、仁摩町の天然記念物に指定されています。


石見城跡 




 次に廻ってくれたのは仁万漁から琴ヶ浜海岸です。琴ヶ浜海岸は100メートル幅の白い砂浜が2キロメートルにわたって続く美しい海岸です。歩くと踏み音がキュッキュと鳴ることから、「鳴り砂」と呼ばれています。

 ちなみに琴ヶ浜の由来は、「琴姫伝説」からきています。壇の浦の源平の戦に敗れ、この地にたどり着いた姫が、助けてくれた村人にお礼として琴を奏でたという・・ また、「鳴り砂」の音色は、琴姫の魂が私たちを励まし、慰め続けている琴の音だと考えられています。

 この日はあいにくのお天気で、琴姫の砂浜と海岸は蜃気楼のように曇り空に浮かび上がっていました。あんまりぼやけてしまったので、下の写真はコントラストを少し強くして補正しています。

 


琴ヶ浜海岸 鳴り砂の名所

日本海の眺め


 戦国時代、石見城からはこの海岸もにらみを利かせていたのでしょうね。源平合戦で敗れた姫がたどり着くくらいですから、この辺の海は銀山を狙った敵兵が侵攻したり、戦の舞台になったりと、さぞや騒がしかったことでしょう。

琴ヶ浜



 途中道の駅キララ多伎で休憩した後、次は海沿いの国道に紅葉に覆われた大社日御碕線を走って、日御碕(ひのみさき)へと向かいました。
 日御碕の出雲日御碕灯台(いずもひのみさきとうだい)は、「日本の自然百選」の一つです。高さは43.65m、石積みの灯台としては東洋一の高さです。

 

道の駅 キララ多伎

道の駅 キララ多伎
出雲日御碕 灯台

日御碕より日本海

日御碕 流紋岩


 参観料200円を払えば上部デッキに上がる事もできるのですが、エレベーターがなく、階段で登らなくてはならないため、やめてしまいました。

 ただし、展望台からの眺めは本当に素晴らしいようで、360度広がる絶景、日本海やおわし浜などを一望できるとあります。平成10年には、「世界の歴史的灯台100選」にも選定されています。
 

 ・日御碕(ひのみさき)・出雲日御碕灯台・経島(ふみしま)・日御碕神社



繁殖期にはウミネコで溢れかえるそうです


 続いて廻ったのは、島根ワイナリーです。
 ワイン醸造館見学と、試飲即売館バッカスでのワインの試飲を楽しみました。

 バッカスでは約10種類の旬のワインを飲み比べすることができます。気に入ったワインは、その場ですぐに購入できます。
 私はお酒が飲めませんが、せっかくなので甘味の多い白ワインを端からすべて、少しずつ、飲んでみました。どれも美味しくいただけました。
 また、ノンアルコールのワインもありました。こちらも葡萄ジュースのようで美味しかったです。

 島根のワインは、神話の里、出雲の国の島根ぶどうを原料に、丁寧に醸造されています。工場見学と利きワインは無料で楽しめますので、旅行で出雲大社に行く際はぜひ立ち寄ってみると面白いと思います。(出雲大社から2キロメートルです)島根の自然がいっぱいの果実酒の味わいをぜひご堪能ください。古事記編纂1300年記念の「おろち退治」もあります。 
 なお、下のリンク先のサイトからオンラインショッピングもできます。

島根ワイナリー

 

醸造館

醸造館
試飲卸売館バッカス





 さて、ついに夕刻です。神迎神事の行われる稲佐の浜へと向かいます。
 途中、1930年に開業した一畑電車の出雲大社駅を通ります。


出雲大社前駅


 創業230年の荒木屋さんで出雲そばを食べようと思いましたが、神迎祭の人出のため、蕎麦が私たちの直前でなくなってしまいました。蕎麦湯だけを頂いて、退散です。この後、どの店も混んでいて、もしくは材料切れで早仕舞いしていて、食事を取りたいのに取ることができなくなってしまいました。島根ワイナリーでのんびりしすぎたでしょうか。

 ところで、蕎麦屋の荒木屋さんには、作家・川端康成の直筆サインがありました。私は康成氏の才能に憧憬していましたので、ぜひあやかりたいものだと思いました。それで、翌日、一人でまた荒木屋を訪れて、出雲名物の割子(わりご)そばを頂戴しました。康成氏と同じ味を食することができました。少し固めで、コシがあって美味しいお蕎麦でした。
 なお、翌日は蕎麦湯は一杯しか頂けませんでした。私は前夜専用の入れ物でいっぱい頂いたものですから(しかも無料で)、翌日もたくさん飲めると思い込んでいました。冷えた体が温まってとても美味しかったのです。それで、お蕎麦には満足したものの、蕎麦湯に関しては物足りない思いを抱えて、荒木屋さんを後にしました。

 今思うと、あの神迎祭の夜の蕎麦湯のサービスは、とても特別だったのかもしれません。地元で常連の、一緒に巡った氏のおかげです。
 荒木屋さんはただ老舗というだけであって、決して美味しくはない、というご意見もあるようですが、地元の氏が出雲の蕎麦屋はここが一番美味しいと言っていたので、私は評論家の意見よりも、氏の意見と川端康成氏の味覚の方を信用しようと思います。


 結局、散々混雑した出雲大社前駅と出雲大社までの道、神門通りと神迎の道とを廻った後、やっと一件の蕎麦屋を見つけて出雲そばを食することができました。
 石見銀山を撮るのに夢中でお昼も食べていなかったので、私はお腹がペコペコでした。寒い一日で体も冷えていました。なので、温かい出雲そばが美味しかった! あともう2杯は食べられたと思います。

 
蕎麦屋 荒木屋

荒木屋 川端康成の色紙が飾ってあります

荒木屋 蕎麦湯です

北井食堂 出雲そば


 お蕎麦を食べて、稲佐の浜へと向かいます。
 ここから先は夢のようで・・ というのも、人が多くて何も見えなかったのですね。人の波を見たばかりでした。
 本当の神迎神事がどのような様子かは、冒頭に戻って説明文を読んでいたけると幸いです。
 


神が歩く道に敷物が敷いてあり人々は足を踏み入れてはいけません

高張提灯を持って神職の方が通り過ぎていきます

右と左に2列に分かれて稲佐の浜へ向かいます

高張提灯

神迎神事の様子 人が多くてこれだけ撮るのが精一杯です

氏が私のコンパクトカメラで撮ってくれました

神迎神事が終わって、弁天島へ向かう人々

こちらは八百万の神とともに神迎の道へと向かう人々 すごい数です


 神事が終わりました。ついに、半日の間、島根巡りを共にした地元の氏ともお別れです。
 本当に、あれは竜神さまか、それともオロチだったのかと思うほど、無事に水難もまぬがれ、島根の名所をひとっ飛びで巡ることができました。最後まで良くしていただいて、出雲市駅まで送ってくださいました。
 また会う機会があったらぜひお礼を言いたいと思います。
 ありがとうございました。

 さて、ここから一旦松江に向かいます。
 出雲近辺のホテルは予約がいっぱいでしたので、松江に宿を取りました。松江から朝一番でまた出雲大社に向かい、今度は神在祭に参加します。

 次回、山陰旅行編③で神在祭の様子をお届けしようと思います。ぜひお付き合いくださると嬉しいです。まだまだ旅は続きます。
 とりあえず今日は、おやすみなさい。
 

 もうすぐクリスマスですね。素敵な聖夜をお過ごし下さい。

 では、また次回に!



スーパーおき で松江に向かいます。

ここが今日のお宿です。お値段の割に綺麗で過ごしやすかったです。



☆出典☆

出雲観光ガイド神在祭
龍神信仰と龍蛇神
天神
石見神楽 天神
石見銀山遺跡 ~世界遺産への輝き~ : (25)石見城跡 天然の要害に拠点築く




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