嵐の九州旅行編③・最終話 ~I LOVE YOU ハウステンボスと玄界灘~



 旅行記の前に自戒の意味も込めて小話を一つ。

 先週、ユニクロの柳井会長がシビアな話をしたとかで話題になっている。氏からしたらシビアでもなんでもなくて、それは当たり前の日本の未来の話であって、いや、もしかしたらブラック企業疑惑をかわすためのちょっとした自己弁護のつもりだったのかもしれないけれど、とにかく、こうやって何だかんだと取り上げられる方が理解できないことなのかもしれない。

 柳井会長はこんなことを言ったのである。ユニクロは(・・というより日本は)「世界同一賃金」になる、日本人はグルーバル化が進めばほとんどすべての者が「年収100万円」になるのはやむを得ないだろう・・ 

 
「年収100万円も仕方ない」ユニクロ柳井会長に聞く朝日新聞デジタル4月23日) 



 「それはグローバル化の問題だ。10年前から社員にもいってきた。将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」



 記事の中で柳井会長は、年収100万人間にならない方法をふたつ示唆してくれている。ひとつ目は下働きの海外の人たちと同じように努力すること、解釈はいろいろあるだろうが、私は(低賃金でも文句を言わない)優秀な機械人間となることだという意味だと受け取った。もうひとつは、付加価値をつけられる人間になるということ、付加価値というどうしてもこの例えになってしまうが、米アップルのような人間になることか。技術はなくてもいい、モノは誰か(中国)に作らせていい、それを超えた価値観を生み出せるかどうかが生き残りの鍵・・

 この記事について、めずらしく多方面から意見を聞かされたのだ。最近めっきりニュースを目にしていないにもかかわらず、狭い私の情報源から飛び込んできたのである。私の好きなブロガーさんだったり、私の嫌いな評論家だったり、で、皆それぞれの思想とやり方を持って、この記事の柳井会長の思想から発する不快感と対決し、疑問を呈しているのだが・・

 私の場合は彼らと違って思想はぶれるし、社会的な正義とか、道徳とかよくわかないし、いや、わからないなんて言ってはいけないのだろうが、そういうことでは対決できないので取り敢えず置いておいて、私が記事を読んで一番疑問に感じたのは、やっぱり基本的なことで、

 なんでこの人にはネイションの発想が抜け落ちてるのかなぁ、という・・

 私は柳井さんが米タイムズから「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた時、正直嬉しかった。日本人もまだ頑張っているんだな、と誇りに思ったものである。ところが・・
 
 なんでこの人は日本を愛していないんだろう?

 今回の記事で突然興ざめしてしまったのである。まぁ、ユニクロだし、グローバルな企業だし、日本が好き、なんて言ったほうがそもそもおかしいのかもしれないが。

 それでも、あれだけ世界で売れたのに、自分を生んだ国と、その国の未来を担う若者に何も還元する気がないのかなぁ、とか。安い服を供給してるし、会社が税金払ってるからいいとかその程度? そんなこと言ってるから日本はあまちゃんばかりのぬるま湯社会だとか? そもそも柳井さんが日本人じゃなかった?
 
 いや、わかるけどそれにしても、おかしい。どうして、日本人であること、日本の企業であることの発想が何一つないんだろう??

 あまりにも対照的な映像を見たので、ついでに貼り付けておく。この映像をぜひ柳井会長に見ていただきたいものだが、グローバルな企業で多忙な氏は見ないんだろうなぁ。





 この曲を聴いていると希望が湧いてくる。愛が沸き起こってくるよう。ユニクロの会長に聞いて欲しい。




 いつか、近い将来、ユニクロ会長が言うような国境のないフラットな社会が訪れたとして、その時までに、その社会の中で、日本の良さを少しでも伝えられるような人間になっていたいものだ。

 (う~ん、早く英語を覚えないとだ・・)




 ☆☆☆☆



 4月6日、7日に九州に出かけたのだった。2日間で、福岡、大分、熊本、長崎と巡ったわけだが、その旅もついに終わりである。
 佐賀県を超え、佐世保に入り、ついにハウステンボス町を示す標識が現れた。長崎ハウステンボスの語源は「森の家」。自然豊かな九州の締めくくりに最高のネーミングではないか。
 
 ちなみに、言わずもがなだと思うが、ハウステンボスは長崎県佐世保にあるテーマパークである。オランダの女王ベアトリクスが住むハウステンボス宮殿を模して作られた。
 なぜ、オランダの宮殿をテーマパークにしちゃったのか、といえばやっぱり長崎だからで・・長崎といえば和華蘭(わからん)文化なのだった。
 長崎は鎖国制度が敷かれていた江戸時代、唯一出島において海外との貿易が認められ、蘭学や西洋医学をはじめとした西洋文化が伝わった。日本(和)と中国(華)やオランダ(蘭)の文化が交じり合い、独特の和華蘭文化によって発展した都市である。今でも街のいたるところで異国情緒に触れることができ、米軍佐世保基地に長崎ハウステンボスもその一つである。ハウステンボスの中世ヨーロッパを再現した町並みは、日本にいながら海外にいるような気分に浸ることができる。

 また、ハウステンボスへ訪れる際には、現地までの交通手段も楽しみの一つなのだとか。東側には、可愛らしい赤い駅舎のJRのハウステンボス駅がある。改札を抜けるとすぐに橋が掛かり、ハウステンボス(森の家)の入国所まで一直線に繋がっている。南側には港がある。長崎空港から大村湾へ航路が通じており、夢のある形の客船が次々とハウステンボスへと入国しているのである。


 ・ハウステンボスへの行き方 


 私の場合はもちろん先週に引き続きレンタカーのトヨタである。単線の佐世保線のすぐ横を並ぶように走って九州を西に横断、次に大村線沿いに南下して到着した。下の写真はハウステンボス町を示す標識が見えたところ。
 

IPhoneで。ハウステンボス町を示す標識

ハウステンボス駅が見えてきた 
山を背景に、カラフルな車両が止まっている

ホテルオークラ 入国棟東側の駅に一番近いホテル

JRハウステンボス駅
IPhoneで こちらはハウステンボス南側に広がる大村湾

IPhoneで 可愛いデザインの船がやってきたところ


 ちなみに、大村湾の大村というのは、戦国大名大村純忠(すみただ)のことである。大村純忠は戦国時代、佐賀や平戸の周辺の大名と争い、大村湾を取り巻く領土を確立した。貿易港として横瀬浦、福田、長崎を海港して、南蛮貿易を行った。特筆すべきは、純忠はキリスト教に浸透し、日本初のキリシタン大名だったという点で、日本初のヨーロッパ公式訪問団を派遣するなど歴史に残る多く事業を行った。

 純忠は当時先見の明を持っていた。少年使節から世界最高の技術と知識を大村に持ち帰らせた。そもそもキリシタン大名になったのも、大村の地を繁栄させ、大名として成り上がるためにポルトガル人とその貿易を利用したという説もある。(それでも死ぬまで熱心な信者だったようだが)
 もし現代生きていたら、フラット化が近づく日本にとっては、ありがたい存在だったことだろう。出島を作ることもかなわなければ、キリシタン大名を迫害する国力を持たない日本である。今や日本全体が新しい和華蘭文化を創造しつつあるのかもしれない・・

 と考えていたら、和華蘭文化の流れである長崎のハウステンボスが日本の未来を象徴する場所のように思えてきた。

 
 ・大村観光ナビ


 ホテルオークラの横、JRハウステンボス駅からの橋をまっすぐ行くと入国ゲートである。



入国ゲートに向かっているところ

 入国ゲートが見えてきた。花の時期は綺麗なんだろうなぁと思わせる薔薇のアーチがある。せっかくだからアーチを通って近づいてみる。


入国ゲートが見えてきた

 大きな碇のオブジェを発見。さすが港町。


大きな碇のオブジェ?

 近くまで来たところ。花壇のあちこちにチューリップ。ちょうどハウステンボスは春のチューリップ祭の最中だった。






 ハウステンボス、入国ゲート。どん!






 入国してすぐの風景。







 オリジナルのキャラクター「ちゅーりー」がお出迎えしてくれる。二頭身のチューリップゆるキャラが可愛らしい。







 私のお目当てはカナルクルーザーでの運河巡りだ。二重水門の橋を渡りながらカナルステーションの乗り場をチェックする。

 あれあれ。↓

カナルステーションに到着する運河巡りの船

 その前にハウステンボスといえばの景色、チューリップ祭で見ごろのチューリップと風車を見にフラワーロードへ。下の写真はフラワーロードのチューリップと風車。
 風車はミュージアムモーレンと呼ばれていて、3台並んで建っている。そのリアルな仕組みから、オランダでも貴重なのだとか。


チューリップとミュージアムモーレン(風車)


立派な風車~


 ちょうどカナルクルーザーが出航する時間だ。お乗りになる方は急いでください、とアナウンスしていたので、急いでステーションへ走っていく。




 写真を撮ろうと思って船尾のデッキに立っていたのだが、少々寒い。客室も見たくなったので、奥へ進んでいく。




 こちらが運転席。




 ちょうどうまい具合に一列空いていたので、座らせてもらった。赤いビロード調の椅子が可愛らしい。窓際にはチューリップが飾られている。





 窓からの景色。さっき見ていたフラワーロードのチューリップと風車を眺めながら。




 運河~ 気持ちいい。
 



 橋の下を通る時がまた感動。思わず手を振ったりする。





 園内で一番高いドムトールンが見えてきた。オランダの古い教会の鐘楼を模した塔だ。





 橋の下をまた越えて、ドムトールンを見上げる。





 ちなみにこちらが本物のドムトールン。↓





 本物のドムトールンは、オランダの古都ユトレヒトに立つ最も古い教会、ドム教会の鐘楼だ。1321年から約60年の歳月をかけて造られ、鐘楼としては国一番の高さ(112メートル)を誇る。

 ハウステンボスのドムトールンは80メートル、古い寺院の鐘と違って塔の中もハイテクではあるが、かつてハウステンボス内にあったライデン大学ハウステンボス校の留学生たちは口を揃えて、日本とは思えない、この塔に登ると国へ帰ったような錯覚に陥る、と言ったという。国境を越えて、人々の胸に響く「心の塔」として、この擬似西洋の街に佇んでいるのである。塔からの壮大な眺望だって、決して負けてはいない。ハウステンボスの街並みに大村湾、天気が良ければ熊本寄りの雲仙・普賢岳まで見渡せるそうだ。私が行った時はあいにく厚い雲に覆われていたが、それでもいい眺めだと思った。ハウステンボスの街並みよりも大村湾際ばかりを撮ってしまった。あの景色ばかりは、本家とは比べようもないだろう。日本の地に佇むその姿こそが、独自の和華蘭文化の真髄なのかもしれない。

 記事の最後に、ドムトールンからの眺望の映像を載せたので、興味のある方はぜひ見て欲しいと思う。ちなみに画質が荒いので小さいサイズで見るように。

 ・ハウステンボスドムトールン




確かに日本とは思えない 見事な街並み


 1階の塔の正面に高速エレベーターがある。このエレベーターに乗って最上階へ。



 
 最上階からの眺め。大村湾と左下はホテルヨーロッパ。







 ドムトールンからの景色を堪能たあとは、ハウステンボス中心部のアムステルダム広場へ。
 ちなみに、ハウステンボス内を移動するには、カナルクルーザーの他に、バスと自転車がある。バスは赤と青色の原色の可愛いバスがハーパータウン(宮殿に続く港の街)からウェルカムゲートまで走っていて、街のいたるところにバスストップがある。自転車は2人乗りから4人乗りまで、入国ゲート傍の(カナルクルーザー乗り場隣)レンタサイクル「フィッツ」で借りることができる。

 この2人乗りや4人乗りの自転車に乗って場内を軽快に走っていく家族連れに男女をよく見かけたものだ。アレキサンダー広場の人混みでぶつかりそうになって、おお!(あらごめんよ、自転車いたのね)と大げさに驚きの声を出しながら退いたら、相手もあはは~!(ごめんごめん、いたのよね、ちょっと通るよ~)と大げさに明るく笑って通り過ぎていく。陽気な街だなぁ、とこちらも楽しくなってしまった。

 ハウステンボスは広くて、1日で廻るのは大変なので、無料巡回の赤バス青バスと、2人乗り~4人乗りの自転車を上手に使うといいだろう。






 チューリップ(を抱えた人)でいっぱい。



 家族で自転車に乗って移動。微笑ましい光景。




 アムステルダム広場から陽気な歌声が聞こえてきた。特設ステージでおじさんがギター片手に歌っているようだ。


視線は3人組の女性にロックオン




 このおじさん(男性、というより親しみを込めておじさんというのがふさわしい感じ)が3人連れの女の観光客をじっと見つめながら歌い続けている。女性たちは見つめられ歌を捧げられて、少し照れくさそう、笑いながら20mほど先でおじさんの歌を聴いている。

 あんまり近づいて、標的をこちらにロックオンされると怖かったので、いや、それはないだろうが、いつものように近づかず遠くからパチリ。気持ち良さそうに歌っているので邪魔しないように。

 なお、この陽気な歌声が街に響き渡り、場内の楽しい空気がますます盛り上がっていた。歌声のBGM、最高だった。

 陽気といえばの、オランダの陽気な風俗画家ヤン・ステーン、彼の名のついたヤン・ステーン通りのだまし絵に、ブライトナー、ゴッホ通りと、ハウステンボス内の街の通りの名称はオランダの画家の名前になっているので、通り名をチェックしながら歩くのも楽しいかもしれない。








 こちらはスタッドハウスを背景に、季節を彩る花時計。この前で記念撮影をする人々が多く、結構賑わっていた。

 青バスに乗ってフェアウェル(出国)ゲートへ。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。



 青バスからの眺め。



 アートガーデン(花と緑のエリア)入口。




 前方から赤バス。原色のバスがやっぱり可愛い。陽気なハウステンボスには原色がよく似合う。
 最後に、乗ってきた青バスを撮って運転手さんに手を振った。

 さようなら、ハウステンボス~





 風車ももう一度じっくり見て。



 入出国ゲート傍、テディベアキングダムの前のテディベア専門店。かなり大きなものも売っている。

 ちょうどこの時、キングダムの鐘が鳴り響いた。まるでお別れを惜しむ音のようで、郷愁を持って聞き入ってしまう。





 こちらは出国総合売店。隣のゴミ箱に注目。こんなところまでオランダ。






 ハウステンボスのある場所はもともと工業用埋立地だったそうで、しかし工業の誘致に成功せず荒れ放題だったという。観光地として再建するとき、一番重要視したのは、「自然環境の生命を回復させる」ということ。ハウステンボスは努力に努力を重ね、自然豊かな生態系を作りあげたのだそうだ。

 そうする必要があったのは、ここを「人と自然が共存する新しい街」にするためだった。広大な敷地の各地区にオランダの文化と豊かな自然を息づかせ、訪れる人々につかの間の余暇と、本格的なリゾートライフを提供することを目指したからのことだった。

 ちなみに、どの地区でも、施設や街の紋章までもがオランダ政府の協力や助言のもとにオランダに実在する建物を忠実に再現する方法で造られている。特にオランダ王室の宮殿を写したパレスハウステンボスは、王室の許しを得て忠実な再現が行われている。まさに日蘭友好の象徴であり、庭園の設定にも、これからの友好関係の発展を願う、希望を込めたストーリーが隠されているのだとか。

 オランダ400年の国づくりに学びながら、現代の時代を先取りする環境都市になっているハウステンボス、ただの西洋擬似都市ではなかったようである。
 私は冒頭の柳井会長と大村キリシタン大名をなんとなく重ね合わせていたのだが、(貿易を重視して日本文化を捨てるという・・)しかし、やっぱり随分と違うものだ。



 ――付加価値をつけられなかった人が退職する、場合によってはうつになったりすると。

 「そういうことだと思う。日本人にとっては厳しいかもしれないけれど。でも海外の人は全部、頑張っているわけだ」



 西洋から学び、港を開いた大村氏、長崎から和花蘭文化を発展させた日本、その延長線上のハウステンボスは今自然豊かな生態系を回復するために努力に努力を重ねている。「人と自然が共存する新しい街」を目指して、日々励んでいるのだった。

 日本人だって頑張っているのだ。そもそも、全部、頑張っていた、と思う。日本独自の付加価値が壊れたから、壊そうという同一の方向性があるから、逆に苦労しているのではないか。そうだ、柳井氏はこう言えばよかったのだ。日本の付加価値を、今こそ私は回復しようと思う。ルネッサンスだ。今の日本人は昔の日本人に比べて、日本独自の付加価値をまるで信じていない。軽視しすぎている。だから私は和花蘭文化を継承し、新しく発展させた者を大切にする。新しい日本の付加価値を生み出す若い君らに限って年収100万人間になど決してしない・・


 日本の未来もハウステンボスのような新しい街になるといい。友好と環境に配慮した、夢のある地となることを願って。



 ・ハウステンボスが考えるエコリゾート



☆☆☆☆



 ハウステンボスを出国して、ゲート傍の喫煙スペースに行って休憩した。なぜかベンチの前で青年がシャドーボクシングをしているのである。背を向けて、汗をダラダラ流して、必死にパンチを繰り出している。その隣でタバコを吸うのはどうも申し訳ない思いがする。煙が流れて受動喫煙させてしまったらボクサーの健康に悪いだろう。なんでよりによってここで練習するかなぁ。私は少々疎ましい思いを抱きながら、今までのハウステンボスの夢のような時間を反芻していた。夫婦連れと親子連れがポツリポツリとゲートから出てきて、口々に言うのだ。楽しかったね。また来ようね。もしくはそういう表情をして、あるいは手を繋ぎ合いながら、通り過ぎていくのである。

 ほんの一瞬孤独を感じて、ふと隣を見たら、ギョッとした。さっきの汗だくのシャドーボクサーが隣のベンチに座って、煙草をふかしているのだった。ラストシーンの「明日のジョー」のように身を低くして、神妙な顔をして。吸うのかよ! と思わず突っ込みを入れたくなるも、気づかなかったふりをしてやり過ごす。おかげで最後の最後に笑えたのである。一生懸命練習しているのに煙草を吸って台無しの孤独なシャドーボクサー、何だか私みたいだなぁ・・・ 
 あとは海岸線沿いを走って福岡空港へ向かうだけである。私は美味しそうに煙草を吸う青年を残して、立ち上がった。一瞬の間がある。まるで見送られているような気分がした。さよなら、同類。さよなら、ハウステンボス。


 最後に空港までのドライブを楽しもう。単線の線路沿いを緩やかに走っていく。よほど電車が来ないかと思ったが、本数が少ないのだろう、これだけ並んで走っているのに、さっぱり見かけないのである。



松浦鉄道九州線沿いを走る


電車来い!と念ずるも、来ないなぁ・・


 伊万里市、唐津市を超えて、今度はJR九州の築肥線沿いを走る。逆隣は唐津湾である。唐津街道を海沿いに築肥線と並行して進んでいくと、初めは気がつかなかったのだ。綺麗な海が見えるなぁ、というくらいの認識だったのだが、ふとそのすぐ真横を通って、私は幾重にも重なる波飛沫の迫力に驚きの声を上げるのであった。
 あの景色は衝撃だった。なんて美しい景色なんだろう。写真に撮りたい! と思うも、細い一車線で止められそうもない。早く早くと心は逸るも、やっと止めらたときはあのこちらに向かって押し寄せるような力強い、複雑で美しい波の表情は跡形も見えなくなっていた。

 残念に思いながら玄界灘を撮る。しばらく走ると、ちゃんと写真を撮る場所が用意されていた。配崎と大崎の間のとるぱ(フォトスポット&パーキング)で、福井パーキングというらしい。
 私はこの国土交通省が取り組んでいるとるぱというものを初めて見た。よほどここは美しい眺望で有名なところなんだろう。日暮れともなれば美しいことだろう。それにしても、あの走りながら見た幾重にも幾重にも重なりあって押し寄せる波は・・ あの衝撃は・・ 一瞬の奇跡だったのか、二度と私の前に現れななかった。

 厚い雲の遥か彼方の光芒を見つめて、それでも胸が温かくなったことを記憶している。九州は山もいいけど、海も素晴らしいと。あらためて日本の自然の美しさに感嘆の思いを抱いたのであった。



綺麗に撮ってあげられなくて、ホントごめん・・


上3枚、せめてフォトショップで彩度と明度を上げてみた


 玄界灘に橋で繋がった鳥居の立つ島が浮かんでいたので何かと思ったらどうも個人所有の庭らしい? 車を止めて行ってみようとしたら、ふうつの住宅だったので驚いて引き返した。



住宅と繋がっている島??

トヨタも夕陽を浴びて嬉しそう そろそろお別れだなぁ

海沿いの道ももうすぐ終わり 最後に1枚!

またな~



 さて、海を抜けると、渋滞が始まるのである。カーナビは容赦なく「この先、間もなく渋滞です」と宣告し、私は恐々と震え上がるのだが、結末から言うと渋滞は一瞬のことで、そう大したこともなかったのである。それより大変だったのは、私の心理的な動揺の方で、特にレンタカーを返却する8時のタイムリミットに福岡空港光(福岡空港のすぐ傍に返却する営業所がある)に間に合わないと知った時の焦りぶりと言ったらなかった。
 もう大した距離でもないのに、高速に乗ろうかと入口を探し始めたり、脇道を探して一本隣の道の路地に迷い込んだり。その焦りの行動のせいで余計な時間を取られたほどであった。
 私が無駄な行動をするたびに、トヨタのカーナビは、私が焦りから間違った道を選ぼうとすることを良しとせず、「その先右です!」、「右です!」、「その先左です!」と、右って言ってんだろ、左だよおら! と教え諭すように声を上げるのだった。で、また容赦なく、「この先、渋滞です!!」

 すっかり神経をすり減らし、天変地異でも起こって、ずっと九州にいたいなどと思ったから罰が当たったのか。飛行機に乗れなくなったらどうしようか。などと思い始めえる。なにせ、夜の8時過ぎても福岡空港は遠いのだった。9時の飛行機に間に合うか疑問を抱いてしまうのも仕方のない状況ではあった。

 散々焦った私は、ここで冷静になることにした。とりあえずスカイレンタカーに遅れる旨を連絡した。カーナビで最短距離をもう一度計測し直した。それから、目標を、間に合う、ことではなくて、博多ラーメンを食べる、ことにした。
 まだラーメンを食べていないのである。何が何でもラーメンを食べる時間を残して、福岡空港に着いてやる。絶対間に合う、空港でラーメンを食べている姿をイメージして、未来をアップデートした。

 不思議なもので、すると標識さえも見えず、あれだけ遠く感じた福岡空港は直ぐに現れるのだった。念じる力というのは大きいものだ。まぁ、ほとんどスピード違反、信号無視に近いほど、(信号が黄色→赤の瞬間でも飛ばすという・・)走りに走った、という自称・努力のおかげでもあるのだが。二車線道路を右へ左へ方向を変え、のろのろ運転の車を追い越しまくって、やっと福岡空港を示す標識を見つけたときは安堵で叫びださんばかりだった。

 結局スカイレンタカーには15分の遅刻で着くのである。福岡空港は東京行きの飛行機が遅れたこともあって、50分程の、ちょうど博多ラーメンが食べられる時間の余裕を持って到着した。

 悲しいかな、あまりに必死に運転したので、このとき今にも吐きそうな身体的状態、とてもラーメンどころではなかったのだが・・・



渋滞の最中

返却時間を過ぎて福岡空港そばのスカイレンタカーへ

くまモンを見るのも買うのも忘れていた・・
せめて最後に写真だけでもと大急ぎでパチリ



 それにしても、福岡から大分、熊本、長崎まで、2日間で随分走ったものである。スカイレンタカーにトヨタを返す際、営業所のすぐ隣のガソリンスタンドで給油するよう指定されていたが、走りすぎて、ガソリンが福岡までもたなかった。走りに走った、という印象がある。運転技術もおかげでだいぶ、めきめきと上達したような気がしないでもない。いや、気分だけかもしれないし、上達したとしても多少反則気味の怪しい技術かもしれないが、それでも、スカイレンタカーの若い従業員がトヨタの前後左右を駅掌のように指差して、はい、はい、はい、とキズなしチェックをした時は妙に爽快な気分だった。

 「大丈夫ですか? 傷ついてませんか?」
 「(店員にっこり笑って)だいじょうぶですよ!」

 
 旅の相棒トヨタを無傷で返せてよかった。大分、熊本、長崎の自然を堪能できて楽しかった。
 涙あり、笑いあり、焦りあり、のなんとも強烈な、濃い、2日間だった。旅はいい。だからいい。
 そして日本は、こんなにも美しい。



  




 長崎編最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。下の映像はハウステンボスドムトールンからの眺めです。画質が荒いので、小さい画像でご覧ください。

 ☆ドムトールンからの眺め☆






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