夢路のドライブ 北海道旅行編③ ~旭岳から北鎮岳へ 桂月の歩いた道を行く~



 大雪山を登るにあたって私が読んだ書籍は、山と渓谷社のフルカラーの大雪山ガイドブック、山と渓谷のバックナンバー(夏山の大縦走と沢登り特集)、それと、登山技術全書の「沢登り」、そして最後に、大町桂月の小説、キンドル版の「層雲峡から大雪山へ」である。
 この「層雲峡から大雪山へ」に心を打たれたのである。小説を簡単に説明すれば、ケーブルカーもリフトもない時代に作家が8日間かけて大雪山を登った紀行文で、険しい道のりの果てに「神々の遊ぶ庭」に到達した作家の率直な感動が描かれている。作家は巧みな筆力で大雪山の山岳の豊かさ、厳しさを語り、それに対峙する言葉として、道の至るところで遭遇する「御花畑」の美しさを語るのである。

 「御花畑」という単語が出てくるたびに私は妙な気持になった。つい笑いたくなった。明らかに明治大正時代の作家の古めかしい文体と、物々しい山岳の随筆文とは合わない。「御花畑」が出てくるときだけ、少女マンガのような風景が、まるで歯が浮くようなセリフによって、不意に飛び出すように感じられたのであった。
 しかし、終いまで読むと、その違和感ある「御花畑」が心に残って離れなかった。何度も想像した。高山植物が咲き乱れる大雪山ではなく、御花畑の大雪山を。ついには、作家は本当に、大雪山で天上の風景を見たのだと確信するに至った。

 

毎年大雪山に登るもの百人内外、忠別川を溯さかのぼりて松山温泉に一宿し、次の日姿見の池の畔に野宿し、その次の日旭岳に登るだけにて、引返して松山温泉に再宿するなりと、嘉助氏いえり。それだけにては、大雪山の頂上の偉大なることも判らず、御花畑の豊富なることも判らざる也。 (中略)

されど旭、北鎮、白雲の三岳に登らずんば、大雪山の頂を窮めたりとはいうべからず。 


 大雪山でこの世のものではない光景を目の当たりにした桂月が、大雪山に行くならば、旭岳、北鎮岳、白雲岳に登れ、と言っているのである。
 これは行かなくてはいけない。ロープウェイを使って大雪山で一番標高の高い旭岳に登ったからといって、うっかり頂を窮めたなどと思ってはばちが当たりそうだ。残念ながら、私の旅の日程では、お鉢平から少し離れた白雲岳には行けそうもなかった。桂月に申し訳ない。それでも旭岳と北鎮岳だけは行ってみようと心に決めた。
 


旭川市のホテルを出て旭岳へと向かう

大雪山麓へ向かって真黒い森の中を走る


 思えば、北海道1日目は余暇のようなものであった。ずいぶん楽しませていただいた。今日からが本番である。
 北海道2日目、私は気合を入れて早起きした。2時半に起きて、3時半に出発する。旭岳へと車を走らせた。

 道道1160号から途中左折をして、コルトは黒い森の中に突入していく。ここから旭岳まではずっと森の中を行く道だった。私は神妙な心持になった。
 北海道に着いた時、私は北海道の自然を見て、特に大きな感慨を抱くことはなかったのである。九州や屋久島の時のように、それらは私に対して何も訴えかけてはこなかった。森も山も、あまりにも遠い景色だったのかもしれない。ところが、さすがに大雪山の麓となると話が違う。空気からしてまるで違う。明け方の空を覆う森の、山々の、黒い影は、畏怖の念を起させるに十分だった。私は自分の内側から敬虔な気持ちが湧き上がってくるのを感じた。耳を澄ませて、自然の声を聴こうと試みる。が、やはり上手くいかないようだ。彼らはよそよそしいほどに、堂々とそこにあるだけだった。

 忠別ダムの真横を通りすぎた。次に大雪山国立公園の標識を見つけて、ついに大雪山にやってきたのだと実感する。心を躍らせながら進んでいく。ガマ岩。キタキツネ。薄紅色の夜明け。道の先に旭岳が見えてきた。



夜が明けてきた 忠別湖の傍で

大雪山国立公園の標識を発見 ついに来た!

朝焼け 道道1160号線

ガマ岩 旭岳で大規模な噴火が
あった際の溶岩だそう

旭岳が見えてきた

ん?何やら道を横切るものが

キタキツネらしい


 旭岳ロープウェイの旭岳山麓駅に5時10分頃到着した。すぐ隣にある公営の駐車場にコルトを止める。ユコマンベツ川を渡って、ロープウェイ駅舎の近くで旭岳を背景に写真を撮ってもらうと、地元の方だったのか、こう教えてくれた。

 「駅舎の裏側に木道があるから。そっちからのほうが(旭岳が)よく見えますよ」

公営駐車場


ユコマンベツ川




 駅舎の裏側の木道には、湿原が広がっていた。旭岳を見ながら進んでいく。湿原の水溜まりからは不思議なことに湯気が噴出しているのだった。朝霧が湧き立っているのか、冷気のように見えたものだった。(肌寒くてダウンを着こんだところだった)が、説明板によるとここは標高1100m、旭岳温泉の上部に広がる湿原だということなので、もしかしたら温泉の湯気だったのかもしれない。




写真ではわからないがここから白い湯気が・・


 ロープウェイの始発は6時である。入り口前で待っていると、5時50分頃駅舎が開いた。駅舎の1階は売店やトレイがある。ここで、途中のコンビニで買い忘れてしまった飲み物を仕入れる。お茶の500mlペットボトルが200円也。レシートには旭岳の絵柄が記されてあった。大雪山には公共トイレが一切ないので、ここでトイレも済ませる。2階に上がって、切符を買い、ロープウェイに乗り込んだ。

 ちなみにロープウェイは6月から10月のシーズン中は15分間隔で運行している。(それ以外の期間は20分間隔) 運賃は往復で2,800円、片道で1,400円である。



6時の始発までしばし待つ


寒いのでダウンを着こむ
今日の天候は晴、視界良、
風速5m/s、気温11℃



切符売り場でロープウェイの往復切符を買う

始発のロープウェイ



旭岳に向かって行く

北側の景色 紅葉が始まりつつある

 標高1600mの姿見駅に到着。駅舎の中で入林届を書いて、登山情報を見て、デッキへと出る。旭岳が前方に鎮座している。



ここで並んで入林届を書く
私は旭岳~間宮岳~北鎮座岳~旭岳と書いた
最終ロープウェイで下山する予定である

登山情報をチェック
ヒグマ目撃情報が怖い

駅舎を出ると前方に旭岳がどーんと
今からあれに登る


 登山者たちはほとんどが団体か二人連れだった。皆きちんとした登山の装備をしている。時折、観光らしきスーツ姿のおじさま方や、サンダルの若者がいたりするが、それらはほんの例外だった。いや、もうひとつ、ずいぶん大きなリュックを背負って、おそらく黒岳の石室(いしむろ・避難小屋のこと)にでも泊まる予定なのだろう、一人で黙々と登っている女性の登山者がいた。両手を腰の後ろに回して重いリュックを支え、ずっと下を向いて歩いていた。それから、子供に泣かれて鏡池の前で立ち往生している家族連れ。「せっかく高い山に来たんだから、もうちょっと登ってみようよ・・」父親の必死のなだめにも耳を貸さず、叫ぶように泣き続ける幼児、私が先を案じたのは彼らくらいであろうか。あとは皆、それはもう慣れたもので、私がよたよたと転げるように歩く場所でも軽々と、颯爽と、山を楽しむように、旭岳を登って降りて、進んでいく強者たちなのだった。



旭岳山頂へ続く登山道

こちらは第一展望台

第一展望台から旭岳の反対方面の
 山の裾野を見る こちらも紅葉が・・

第一展望台からの眺め

満月沼

満月沼

すり鉢池

すり鉢池と旭岳

第三展望台からの眺め


第三展望台を後にして



鏡池


すり鉢池と鏡池を見下ろして
両方で夫婦池と呼ばれている

第四展望台



旭岳石室

姿見の池が見えた


広角レンズでも入りきらない でかい池である

さて、姿見の池の右に行くか
(こっちがショートカットの道)

それとも左に行くか

悩んだ末、左の道を選び、噴気孔を見に行く

噴気孔前で

姿見の池に戻ってくる

第五展望台

ここからやっと登山スタート
山頂までは約2時間の予定


 姿見駅の前は約1.4㎞の周遊コースになっている。姿見の池散策路を一周回ると約1時間で元の姿見駅に戻ってくる。夫婦池、ごう音とともに硫黄の噴煙を吹きだす噴気孔、キバナシャクナゲの群生と姿見池、展望台が5つ、となかなかの見応えなのだが、私は時間短縮で、夫婦池方面経由で姿見池に向かった。姿見池からすぐ旭岳山頂への登山道へ進もうと思ったが、道中、ずっと耳に響いているごうごうという噴煙口が気になって仕方がない。

 旭岳の噴気孔は、旭岳ロープウェイの公式サイトによれば、「豪快に立ち上る噴煙を眺めていると、まるで旭岳が呼吸をしているかのようにも思え」る、と評されているが、まさにその通りで、私はまずその音に心を奪われたのである。聴きようによってはとても不快な音だった。何せ道中ずっと響いているのだから、うるさくて仕方ない。近未来のアニメかドラマでロボットが登場するシーンのようにも思える。得体のしれない怪物が、すぐ傍で息衝いているイメージである。
 近くまで行って見ると、あれだけ物々しい音の割に噴煙はしょぼいようだった。よくあの煙からあれだけの重低音を放つものだ。旭岳全体があの一か所で呼吸しているのだと言われても、信じそうな印象深さである。

 噴気孔を目の前で見て気が済んだので、やっと登山開始である。8時半までに山頂に着く予定だった。姿見駅前の散策路でずいぶん時間を取られてしまった。予定がずれ込むと最終のロープウェイに間に合わない。私は時間を気にしながら、必死に登る。強者どもの登山者たちに付いていくのである。



振り向いて眼下を見下ろす

六合目に到着

ところどころに道しるべの黄色いペイントの跡がある

まぶしいので偏光サングラスを使用

登山者が積み重ねたのか、岩の至るところに石が


旭岳を入れて写真を撮る


七合目に到着

景色を見て癒される

広いなぁ~

八合目到着 夫婦連れがリュックを
置いて休憩してる
「何合目って書いてあるか見えないですね」
と世間話

また後ろの景色を撮る(さっきとあまり変わらない)

九合目 (さすがに眼下の景色が違ってきたような)
標高2200メートル越えの山頂も近い
あと少しがつらい 山頂を見上げて

やったー到着

山頂にて




大雪山一頓しかけて、旭岳を起す。二峰となりて、東なるは低く、西なるは高し。雪田を踏み、砂礫を攀よじて、二峰の中間に達し、東峰を後にして、西峰を攀ず。砂の斜面急也。五、六歩ごとに立ち留まりて、五つ六つ息をつく。山に登るに急げば、苦しくして、疲れ易く、持久力を失い、風景も目に入らず。さればとて、度々腰を卸おろしては、路あまりに捗らず、疲れ切っては、休息しても、元気を恢復すること難し。疲れぬ前に、ちょっと立ち留まるだけにして、息を大きく吐き、腰を卸さずに、徐々として登れば、苦しきことなく、疲れもせず、持久力を失わずして、風景を味うことを得べし。口に氷砂糖を含まば、なお一層元気を失わざるべし、立ち留まること百回にも及びたりけむ。頂上に達して、始めて腰を卸す。頂上は尖れり。西面裂けて、底より数条の煙を噴く。世にも痛快なる山かな。大雪山の西南端に孤立して、円錐形を成し、峰容大雪山の中に異彩を放つ。




 山頂に着くか着かないかの登山道の脇で、立ち止って写真を撮っている青年がいた。その撮り方がいかにも慣れて様になっていたので、写真を撮ってくれと頼んだ。背景を選んで丁寧に撮ってくれるのである。見ると、もう10メートルほど先がすぐ山頂だった。ついでに山頂の標識を入れてほしいと要望すると、まるで撮影隊のように東西南北の角度からまた丁寧に撮ってくれた。
 礼を言って別れた後に、やっと落ち着いて山頂からの景色を眺める。取りあえず旭岳山頂に到着したこと、予定の8時半を少し回ったが無事予定からそう大差なく到着したことに安堵して、少し考えが足りなかったのかもしれない。ふと、50代から60代くらいのご婦人たちの声が耳に入った。

 「ここには山ガールはいないから。残念ながら。いるのは、山ガールの格好したおばさんだけ~」
 
 楽しそうに笑っているのである。自虐ギャグかと思ったが、聞こえるところであからさまに言うからには、聞こえてもいいと思っているのだろう。山頂の標識を長い間独占してしまったので、嫌味の一つでも言われたのかもしれない。取りあえずおばさんの仲間に入れられたことは確かである。
 私はネガティブな空気を感じると、そちらに引きずり込まれないように、その発生源の人に決して視線を向けないように決めているのだ。目が合ったら最後である。逆にネガティブな念を感じても、どうにかそこからこちらに取り戻したい人に対しては、嫌がられてもせっせと視線を向けて話しかける。なので、この見ず知らずのご婦人たちの場合は、格好も表情も見なかった(彼女たちが山ガールから隔たりがある様子なのか、もしくはこちらや誰かに向けて嫌味を言っている表情なのか知らぬ) が、不思議なことにこの後、大雪山めぐりの2日間でこの言葉があらゆるシーンでリプレイされるのであった。

 私の山ガールの定義は、山を愛する勇ましい女子を褒め称える言葉なのであった。お洒落な格好も、年の若さもどうでもいいのだ。それで、上手く登れないとき、追い抜かされたとき、滑って転んで、道で迷ったり、藪をこぎながら山を這ったりしているときに、腹立ちまぎれに頭に浮かんでくるのであった。なにくそ、と。ただのおばさんになってたまるか。
 いや、実際、あれは彼女たち自身のことを言っていたのだ。ただの自虐ギャグであり、それ以上でも以下でもなかったのかもしれない。しかし、おかげで火が付いた、ということなのである。

 

お決まりの自分の影を入れて

旭岳(標高2290m)山頂の標識

これから間宮岳に向かう

旭岳を下る この下りが急斜面で滑りやすくて危ない

振り返って旭岳を見たところ 真ん中の溝が登山道

間宮岳へ 気持ちのいい道が続く


ところどころにチングルマの羽毛が


石もなんか綺麗 赤っぽく色づいている

高山植物は紅葉が始まってる


間宮岳が近づいてきた ここにも石が積み重なっている
登山者たちの軌跡と物語を感じる

しばらくは、のんびり一人で歩いていたが、
いつの間にか間宮岳へ向かう人々に追いついた

旭岳で写真を撮ってもらった写真家の青年とまた出会う

お鉢平(カルデラ)のくぼみが見えてきた!
ちなみにお鉢平は立ち入り禁止
高濃度の硫化水素ガスがたまっているとか

荒井岳(標高2183m)の山頂に10時到着

白雲岳をバックに、ハイ、ポーズ

お鉢平どーん

お鉢平カルデラ外輪山
左から北鎮岳、凌雲岳 桂月岳 黒岳

山頂の標識はなし

荒井岳からの眺め

 
 間宮岳に向かう途中で、旭岳山頂で写真を撮ってくれた青年とまた出会う。ペースを落としてくれて、話をしながら荒井岳と間宮岳、中岳分岐まで一緒に歩いた。これから友達と三人で中岳温泉に向かうのだそうだ。
 その青年 ー確か札幌に住んでいると聞いたー が大雪山に詳しくて、いろいろと教えてくれたのである。お鉢平は北鎮岳方面から見たほうが紅葉に染まった縁がよく見えること、余裕があればその先のお鉢平展望台まで行ったほうがよいこと。お鉢平を一周すると約6時間かかること、今日巡るのは最終のロープウェイまでにぎりぎり間に合わないかもしれないので、もし巡りたいならば黒岳の石室に泊まるとよいこと。(地図とコンパスを愛するアナクロな私に対して)国土地理院のウェブを使えば無料で閲覧できるし、山と高原地図のアプリを使えばGPSで地形図上の現在地もすぐにわかるということ。それからお鉢平から見える稜線の山々の名前、あれが北鎮岳、あれが黒岳、隣の小さいのが桂月。荒井岳の後ろが白雲岳。

 「北鎮岳に行って戻ってきたら12時半、そうすると15時にはロープウェイに戻れますよ」

 こともなげに言う。
 私のタイムテーブルでは、ロープウェイに戻るのは最終ぎりぎりだったので、この山に詳しい彼の計測にすっかり安心させられた。余裕で白雲岳にも行けそうな心持になるが、青年は何度も計測しなおして、首を振った。

 「やっぱり白雲岳に行くと難しいですね」

 石室にでも泊まらない限り、北鎮岳と白雲岳の両方に行くのは無理そうだった。姿見駅の最終ロープウェイは17時半なのである。
 
 

間宮岳(標高2185m)に10時20分到着

後ろを付いていく

中岳分岐10時40分到着 ここでお別れとなる

メアカンキンバイが一輪残っていた

北鎮岳へ


 

大雪山群峰の盟主ともいうべき北鎮岳の頂に達して、さらに驚きぬ。周回三里ばかりの噴火口を控えたり。その噴火口は波状の平原に連つらなれるが、摺鉢すりばちの如くには深く陥おちいらず、大皿の如くにて、大雪山の頂上は南北三里、東西二里もあるべく、その周囲には北鎮岳、凌雲岳、黒岳、赤岳、白雲岳、熊ヶ岳、など崛起くっきし、南に連りて旭岳孤立す。南に少し離れて忠別岳あり、化雲岳あり、その末一段高まりて戸村牛岳となる。その奥右に十勝岳あり、左に石狩岳あり。北は天塩北見界の峻峰群起して我れと高さを競わんとす。気澄まば、旭川も見ゆべく、北海道の東部に雄視せる阿寒岳も見ゆべく、西部に雄視せる羊蹄山も見ゆべく、日本海も見ゆべく、太平洋も見ゆべし。



 青年らと別れると、道の先に北鎮岳が聳えていた。北鎮岳から見る大雪山のお鉢平と外輪山、またその向こうに見渡せる景観は、それは見事だそうである。青年が言っていた。桂月が感嘆していた。もちろん高山植物はもう咲いていない。奇跡的に残っている幾つかを見られるくらいである。だが、そこに「御花畑」を見つけることができるだろうか。私は期待に胸を膨らませて、行くのだった。桂月も歩いたであろう道に思いを馳せながら。


 (その④に続く)