くらかけの雪に希望を託して 〜賢治の詩に出てくる鞍掛山に登って来た〜



 岩手県のシンボル「岩手山」の南麓に、「鞍掛山」という小さな山がある。
 かつて、宮沢賢治が「くらかけの雪」という詩を書いた、その舞台となった山で、20代の頃の私に大きな衝撃を与えた「心象風景」としての山だった。

 先週末、行楽シーズン最後のチャンスにと、この鞍掛山に登った。登ろうということになった。私は、週末登山の候補として「鞍掛山」の名を聞いたとき、ずいぶんと高揚したものである。ついに、実物を観れるのだ。そうして、久しぶりに、賢治の詩を読み返してみたくなって、グーグルで検索したら、当時とは違った(だけどそれが本物の)こんな詩が現れた。


くらかけの雪

たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野原もはやしも
ぽしゃぽしゃしたり黝(くす)んだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵母のふうの
朧(おぼろ)なふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
 (ひとつの古風な信仰です)

  〜1922年 宮沢賢治 春と修羅(第1集)より〜

鞍掛山の形をしている賢治の歌碑


 
 こんな詩があったのだなぁ。若い頃に読んだ詩とほんの少し違うようだ。調べたところ、どうやらこちらの詩は表向きのもので、私が若い頃に読んだのは、賢治がこっそりと自分の手帳に書き留めたものだったらしい。あの「雨ニモ負ケズ」と同じように。(雨ニモマケズも自分の手帳に書かれたもの)おそらく、表向きの詩の補足のために。

 今回の鞍掛山登山のおかげで、初めて、私は表の、本当の詩を知ったというわけだ。そういえば、私が若い頃念入りに読んでいた詩集・春と修羅は、総集編みたいなまとめ版みたいなものだった。裏バージョンの「くらかけの雪」が載っていたくらいだ。編集者が少しマニアックだった。

 (それは置いておいて、)

 くらかけの雪の詩に戻ると、賢治は物語に登場する自然を擬人化したり、登場する人物を象徴的な意味で用いることが多かったので、

 「ぽしゃぽしゃしたり黝(くす)んだりして」

 いる「野原」や「林」というのは、もちろん、言葉通りの(本物の自然としての)野原や林ではない。
 孤独に一人雪山を歩いている賢治は、頼りにならない、あてにならない、野原や林の存在を感じていた、自分の身近に。自分を歩きにくくさせる(足を引っ張る)ものとして。

 けれど、その元凶であるはずの吹雪のことは、朧と表わし、酵母ふうだと伝えている。幻想的に、かつ、永続的に分裂しては生まれる新たな存在としての雪に、賢治は希望を託しているのだ。
 
 頼りにならない、あてにならない、と幻滅しているもの、

 それに対して、希望を託しているくらかけの雪のような、吹雪、

 それらは何を表しているのか? その答えが、(私が若い頃に読んだ)裏の詩にあったのだ。だから衝撃だったのだ。

 そのことに何十年も経った今、やっと気がついた。

 ううむ。週末登山恐るべし。








 賢治の詩は一旦置いておいて、そう、鞍掛山に登った話を。

 上の地図にあるように、鞍掛山は盛岡の北、少しだけ西寄り。

 車窓からの景色も、栗駒山とは一変して、晩秋、もしくは初冬の様子。


 ・栗駒山の車窓からの景色の写真はこちら



 そして、今回登ったのはこんなコースだ。



 滝沢自然情報センターからスタートして、登山道から帰りは岩手山麓森の道(遊々の森)。

 本当は遊々の森コースは岩手山の登山コースでもあるので、そちらを歩く予定ではなかった。鞍掛山中央の、登山口から西側の道から降りる予定だった。

 予定外ではあったものの、この遊々の森コース、なだらかな野原と森が続いていて、なかなかいいのである。自然の道を堪能できる。傾斜が緩いので歩きやすい。登山というよりは、ウォーキング。老若男女、誰でも楽しめそうである。

 鞍掛山登山で、この遊々の道を歩く方はそう多くないのではないか。
 偶然にも、貴重な登山道を見つけて歩いてしまった、というラッキーなパターンだった。






 いつもの斎藤さんと佐竹さんと。




 小雨の降る中をスタート。




 ちょっと恥ずかしい後ろ姿。(私)いざとなったら一眼レフを守ろうと、前日薬王堂(ドラックストア)で買った真っ赤な雨ガッパを着てスタート。

 が、よく考えたら、今日も撮影班は佐竹さんなので、雨ガッパは佐竹さんに着て貰えば良かった。

 写真下、一眼レフを守ってくれている佐竹氏。↓ 






 斎藤さんには、私が20代の時から愛用している60/40(ロクヨン)クロスのシェラデザインのマウンテンパーカーのモデルになっていただいた。

 スタイルがいいから、何を着ても似合う。





 ロクヨンクロスは、雨の山ではゴアテックスには劣るものの、アウトドアの世界では正統派、真髄と言ってもいいこだわりの素材。機能性に優れているので、古くから愛用されている。元祖マウンテンパーカーだ。

 20年選手の一枚も、今回は雨の中、随分頑張ってくれて、最後まで斎藤さんを雨から守ってくれたようだった。



 
 緩やかな林の中をどんどん歩く。

 不思議なもので、標高も低いのに、ブナの若木が(若木というより幼木)あちらこちらに生えている。
 写真下の焦げ色の葉の付いている木は全部そう。
 植林なのか、どこかのマザーツリーから落ちた種から生まれた(自然林)のか。
 最後まで判別できなかった。
 帰りの遊々コースは特に笹が多い林だったので、(こちらもブナの幼木多し)もしかしたら自然のものなのかもしれないが。








 斎藤さんと。

 この道を賢治も歩いたのかなぁ、と聞くと、そうだね〜と答えてくれる。

 (いい人だぁ。賢治ファンでもないみたいなのに)




 展望台に到着。

 雨は思ったより降りが強くなるし、一組の男女だけしか、登山者とも出会わず。

  



 景色はいいけど、展望は(岩手山見えず)どうもパッとしない。

 それでも絵になる美男美女。 ↓ 








 こんなねじれた木も。

 (気がつかなかった)



 雨の降りが強くなってきて、一眼レフが心配になってきたので、雨ガッパを佐竹氏に押し付ける。

 軽くなった。↓ ↓ (ブナの幼木の森で)




 (どこかのイベント会場に)こんなスタッフいるよね、と笑。



 シラカンバも綺麗だった。




 シラカンバ林をどんどん進む。




 登山道とは思えない、始終こんな遊歩道のような歩きやすい道。





 最後の最後に、山頂到着直前に木の階段が現れた。登山道のクライマックス。





 それを超えると、鞍掛山山頂!

 897メートルの、小さな小さな、念願の「くらかけの雪」の山。

 




 ついに来ました。正面に岩手山がどーん、と見えるはず・・

 だが、残念ながら真っ白。

 それでも、かなりテンション上がる。


 サクッと休憩して、すぐに下山。
 
 やっぱり誰にも出会わないなぁ。

 



 こんな木も。

 シラカンバとブナが合体!?





 
 一眼レフが曇ってきた様子。


 上はSONYのスマホで。


 上はiphoneで。

 でも曇っても、やっぱり腐っても一眼か。↓ 全然違う。



 初めは迷い道と感じた遊々の道。
 最後は佐竹さんが確信をもって、分かれ道を思い出してくれて、安心して歩いていた道。
 この道が一番賢治を連想させてくれた。

 まるで賢治の詩のような、頼りにならない、あてにならない、ぐしゃぐしゃの野原や林の有様だったが、それでも、水溜りの鏡にナンブアカマツの背の高い、立ち並ぶ様が映し出されて、

 ああ、雪こそはないが、何と幻想的なことか。

 そしてまた幼木のブナは赤い葉で道を照らし。

 なんどもその時々の景色の美しさにはっとさせられるのだった。




そうして、3時間半ほどで、帰ってきた。
 滝沢自然情報センターに到着。行きのじっくり見れなかったので、帰りは寄らせていただいた。
 木を燃やしているストーブが暖かい。






 ここのスタッフの方・・ だろうか、二人ほどの男性がいて、鞍掛山のパンフレットをくださり、また賢治の歌碑のある場所を教えてくれた。温泉の道のりも。






 
 鞍掛山の登山道で、ずっと賢治の詩のことを考えていた。

 また、なぜ今日がこんな雨の1日だったのか。天候が優れず、眺望も何も見えない1日だったため、なおさら、思い出されて仕方がなかった。


 賢治の手帳に書かれていたのは、こんな詩だった。



 くらかけ山の雪
  友一人なく
  たゞわがほのかにうちのぞみ
  かすかなのぞみを托するものは
  麻を着
 けらをまとひ
  汗にまみれた村人たちや
  全くも見知らぬ人の
 その人たちに
  たまゆらひらめく   〔以下空白〕






 帰りは網張温泉に。網張温泉のキャラクターの女の子、名前を忘れてしまった。ごめんなさい。

 




 そして、最後は宮古の十割そばへ。

 ・十割そばたからや


 ミニ天丼と、かけ蕎麦のセットを食べた。蕎麦湯もついて、体が温まった!
 店内の床の間とか、和風の造りも面白かった。








 というわけで、大急ぎで振り返ってしまった、鞍掛山登山。

 賢治が希望を託したのは、労働者や、見も知らぬ人。その人たちが酵母ふうだと、たまゆらひらめく、と歌っている。

 ならば、あてにならない、頼りにならない、というのはその反対。

 人間社会のカオスを嘆いているようにも映る。

 うん。たまゆらひらめく。
 (若い頃に衝撃を受けた一節だ)

 私もそんな風に思ったりする。

 誰に絶望しようとも、人類全体への希望は決して捨てされやしない。

 希望を託して。たまゆらひらめく。



 くらかけ山の雪
  友一人なく
  たゞわがほのかにうちのぞみ
  かすかなのぞみを托するものは
  麻を着
 けらをまとひ
  汗にまみれた村人たちや
  全くも見知らぬ人の
 その人たちに
  たまゆらひらめく   〔以下空白〕