黄金週間の金尽くしの旅、縁起がいいので電子書籍化を狙っています。



 お久しぶりです。お元気でしょうか。

 当方、ゴールデンウィークの東北旅行のお話をまとめています。
 全部かけたら、電子書籍化しようと思っています。
 何か、ご意見あれば、教えてください。その個所、書きなおします。
 
 注釈1 出だしは、宮沢賢治をオマージュしています。また、うちゅう、をひらがなにしたのは、「宇宙」だとSFのイメージが浮かんでしまうからです。近未来的な話ではなくて、心や意識の話をしています。なので、あえて、既存の概念と結びつかないひらながにしています。
 注釈2 童話ふうですが、対象年齢は40代から70代くらいの大人です。
 
 余談ですが、出だしの短い1章だけで、三度くらい全部の書き直しを行っています。当初は1日で全章を書く予定でした。ところが全く進まないので、休日に山や映画に出かけられず大変困っています。こんなに遅筆すぎるのは初めての体験です。
 何かアドバイス等あれば、何卒よろしくお願いいたします。


目次
1 旅の始まり 
2 黄金の関山
3 駆け込みオムライス 
4 過去と未来を見渡す安波山
5 廃墟の観光ホテルを知っているお金持ち
6 背が高くてやせっぽちの福島からの訪問者
7 私たちの大切な水
8 宝探しの地図を片手に道をゆく


1 旅の始まり

 世の中には負の力がうごめいています。うっかりすると、落とし穴にはまります。だから、眠る前に、学校のいじわるな友達や、うるさい先生のことなど思い出さずに、もしみなさんの心がおだやかで、みちたりた気分だったりしたら、そんな時に、うちゅうの星のことなどをかんがえてみるといいでしょう。すると、不思議なことに、自分の心とうちゅうの心とが一緒になって、どこまでも続く星空のなかをおよいでいることがあります。ありませんか? そう、実はそれはとても貴重な体験です。昼寝をいっぱいする子どもや、それから大人たちには、できません。心や頭にいろんな常識や知識が生まれると、なぜか、うちゅうと一緒に星のなかを漂う(うちゅうと旅する)ことはできなくなってしまうのです。大人になってそれができるのは、修行をした立派なお坊さんと、修験道の山伏と、神様につかえる仕事をしている少しの人たちだけです。

 だから子どもはとてもえらいのです。大人が無くしてしまった才能をたくさん持っています。もし、うちゅうに行ったことがない子がいても、自分はえらくないなんて悲しむことはありません。そういう子も、それから、成長してうちゅうに行けなくなってしまった大人たちも、悪い人たちややりたくない仕事のことなどをまるで思い出さずに、とてもみちたりたしあわせな気持ちになる時があるのです。感覚だけなら子どもよりもしょっちゅうあります。大人になるのもまんざら悪いことではありません。たいていは好きな動物と一緒にいたり、気持ちのいい風がふいていたり、あたたかい土をふんでいたり、きれいな花を見たり、きれいなものを食べたり飲んだりした時に感じます。大好きな友達と仲良くしている時も、もちろん、感じます。
 これから書くお話は、そのような、うちゅうにはいけなくなった大人たちの、けれども、意識がそこにとても近づいて、みちたりて、しあわせに感じた、眠る前の一瞬の時間のような、旅の記憶です。
 なにかしらみなさんのためになることも書いてあるかもしれません。もしも、元気が出てこない雨の1日でもあったりしたら、そんな日にぜひ読んでみてください。


 東北の、宮城県石巻市の牡鹿半島の東南端に、金華山という島があります。東日本大震災の時に、いちばん震源地に近かった、周囲26kmの小さな島です。この島は、島全体が神域の、いにしえからの霊島です。島に住んでいる鹿を神鹿として、たいせつにしています。島の中心には島と同じ名前の金華山という445mの山があり、麓には大金寺という弁財天さまをご本尊とする立派なお寺が、頂には竜蔵権現さまを祀る(現大海祇・おおわたつみ)神社がありました。明治維新の後(明治2年)、神仏分離により、金山毘古・金山毘売両神を祭神とする黄金山神社となったのです。この島を3年続けてお参りすると、一生お金に困らない、と言い伝えられています。日本で初めての、貴重な、金の産地の一つでもあります。

 金華、大金、黄金、金山・・ と、金尽くしの名称に、お金に困らないという言い伝え、なんとなく頭の中に金ぴかのイメージが湧いたのではないでしょうか。ワクワクして、行きたくなりませんか? 金華山は大人たちの、魂の冒険の島でもあるのです。
 船に乗って、宝物を探しに行く海賊たちを思い描いてください。偉いお経をもらいに行く「孫悟空」ではなくて、宝物を探している「海賊」ですよ。海賊たちは、自分たちのあり金と、魂一つ持って、旅に出ます。それと引き換えにお宝をいただきます。さて、その場合、金銀財宝をより多く得られたら勝者ですか? それともその過程に、何か別の宝が見えますか・・・? 漫画のようでもありますね。海賊の仲間たちが最後に何を手に入れるかは、金華山の神のみぞ知るのです。




 2017年の5月6日に、私は金華山を訪れました。4年前に初めて来た時は、島のあちらこちらに、壊れたものが壊れたまま放置してあって、とても痛々しい姿でした。表参道の木々や石灯籠が倒れたままだったり。島のあちこちの斜面では、えぐられた剥き出しの土砂のまま、石垣も崩れたままでした。東日本大震災の被害の大きさを窺わせました。 




 被害もさることながら、島自体も荒涼としていて、畏くなるほど地味なのです。金の華という名称とは対象的です。鬱蒼とする 緑の森、という屋久島のような人好きのする癒し系の雰囲気も持ちあわせていません。太平洋上の小 さな無人島・・・孤島なので、潮に負けないように、無骨な木々が無愛想に踏ん張っています。




(登山道に入ると様相が変わりますが・・)剥き出しの岩肌の断崖、ポツリポツリと立つ高く伸びる木、細い谷と霧、そして鹿と猿のみです。これでカラスでも飛んでいたら、江戸川乱歩や横溝正史の古いミステリの舞台のようです。それに、なにぶん、霊島ですから、観光地用に人の手が入ったりしていないのです。自動販売機も商店もありません。海と接する崖際の歩道には鮮やかな手すりも広告もありません。あるのは、あるがままの自然と神々のやしろ(棲家)のみです。そうした作りものではない自然の神性に惹かれるのか、金華山は人々にとても愛されていて、震災の後もボランティアの方々がたくさん来ては、復興に協力してくれています。なので、今年は、初めて訪れた年とは見違えるほどきれいに片付けられた、人々の善意の結集である、新しい島の姿を見ることができました。特に驚いたのは、船着場に着いた時のこと、港の横に立派な休憩所が作られているのを見たときです。

 金華山には船で行きます。もちろん船でしか行けないのです。なので少し不便です。震災の後は特に船の本数がめっきり少なくなってしまいました。休日に一便のみ、鮎川浜か、女川から観光用の船が出ます。日帰りだと、島の滞在時間が1時間半ほどしかないので、いつも黄金山神社におこもり(宿泊)させていただき、ゆっくりお参りして、島の自然を楽しみます。この日は、とても風の強い日で、高波に揺れて船が激しく上下していました。霧が出て視界も悪い日でしたが、白い霧の中から、黒い波の先に、金華山の島の断崖が見えた時は、嬉しく感じました。
 私はこの島がとても好きなのです。おそらく、ボランティアの方々と同じような理由です。それから、この島の神鹿が好きです。バンビのような可愛い子どもの鹿が、お父さん、お母さんと一緒に、島にあちこちでくつろいでいる姿を見るのが好きです。特に島の北から東側の太平洋と面した断崖の、緑の芝の地には、よく神鹿の家族がたたずんでいます。お尻にハート型の白い毛がふさふさしています。神社より離れたところに人間がいることが不思議らしくて、少し離れた後で振り向いて、じっとこちらを見つめてきます。それも家族全員でです。私が彼らから目をそらして、また道を急ぐまで、そうして見続けています。彼らの方から先に興味をなくして目をそらすことは決してありません。後姿を見守っている視線を感じます。この神鹿はとても賢くて、予知能力があるようなのです。そのエピソードは最終話でお届けします。









 金華山の自然に触れていると、私はとてもおだやかで、みちたりた、しあわせな気持ちになります。子供の頃の、いつかの夜と同じです。大人になると眠る前の時間はほんの一瞬で、(労働で疲れているとすぐに睡眠に落ちてしまうのです)もしくは長すぎて(不眠になると神経が冴えて眠れないのです)、しあわせを感じる余裕がありません。なので、そんな気持ちを思い出せてくれる、この金華山の自然は、とても貴重なのです。また、この島には、(お金にまつわる)負の落とし穴もたくさんありますので、海賊となった大人の私の、魂の冒険にもぴったりです。

 旅は金華山から始まりました。ですが、その1日前、2017年のゴールデンウィークの5月5日に、山好きの友達に導かれて、岩手県の一関市、平泉町、陸前高田市、宮城県の気仙沼市にもいたのです。奇しくも、かつて多くの金を産出した地ばかりでした。次回は時間をさかのぼって、平泉の中尊寺のお話をしたいと思います。







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