GW旅日記・金華山へ向かう道② 田代島編 古き良き記憶の時代へ回帰せよ



 1週間ぶりとなった。元気でやっているだろうか。いつも元気を与えてくれてありがとう。また、先週はたくさん助けてくれてありがとう。まるで、貴方が近くにいることが、伝わって来るようだった。心の支えになった。ありがとう。

 貴方がいてくれて、私は本当に幸せだ、と思った。

 さて、今週は、ゴールデンウィークに宮城県の石巻に属する島、牡鹿半島の先端にある田代島、網地島、そして島全体が神域の金華山を巡った話、その1として田代島編をお届けしようと思う。

 私の5Dのセンサーが傷んだ話をしただろうか、私は旅日記を書くようになってから初めて、相棒の一眼レフを持たないで、田代島に旅たったのだ。(伊勢、熊野編も一眼レフを使えなかったが持ってはいた)

 写真という趣味を通して、人として成長することを教えてくれたのは貴方だった。一眼レフを持っていると、いつも貴方と共にいるようで心強い思いがした。
 今回は、だから少し寂しかったが、そのおかげでいつもは見えないことが見えることもあった。スマホブログからリアルタイムに記事を更新して、現地の旅をその時々でより楽しむこともできた。

 それでも、帰ってきてからまず、新しい一眼レフを買いに行ったのだよ。もっと綺麗に田代島や網地島、金華山の写真を撮ってあげたかったと反省したしね。旅の話の前に、その新しい一眼レフで撮った仙台の青葉まつりの写真を紹介するから。まだ使い方も極めていないし、大量に撮った写真の整理も出来ていないから、本当に少し、触りだけのご紹介。こちらは、また続報をお届けしたい。とりあえず、そういうことだから、新しい一眼レフも買ったから、これからもよろしく、また一緒に成長していこう、ずっとそばにいてほしい、ということだけ、伝えておきたいと思う。







 仙台青葉まつりがなかったら、新しい一眼レフの機種、キャノンEOS-1DXを買うことはなかっただろう。高感度も高速シャッターも必要ないと思ったに違いない。その意味では、仙台青葉まつりは私にとってとても貴重なお祭りとなった。


 「お祭りで祈ることは豊作や豊漁の『願い』ばかりではなく、人が現にこうして生かされていることに対する『感謝』の念も根底にあり、それを表す形が『お祭り』そのものなのではないかと思わされる今日この頃であります。・・・」
 「金華山日誌」(5月16日更新「初巳大祭最終日」)より


 仙台青葉まつりの名物、すずめ踊りを踊る人々はみな生きていることの喜び、生かされていることの感謝の念に溢れているようだった。素敵な笑顔! 楽しそうなステップ! 自然と、撮る側の私も、楽しくなってしまったよ。感謝の念を表すとても良い機会となった。本当にありがたい話だ。またしてもカメラがきっかけで、尊い人々の思いを感じることができた、感謝の念を伝えることができた。もし、最近、生かされていることの感謝から少しばかり遠のいている方がいたら、ぜひ今からラッシュとなる夏祭りに行かれることをオススメしたい。きっと、自然と笑顔に溢れることだろう。

 



 写真上は、宵まつりのすずめ踊りのスケジュールと会場を聞いたら、親切丁寧に教えてくれてた一番町商店街の案内所のお二人。「スズメ有りマス」が面白かった。日記にたどり着いてくれただろうか、その節はどうもありがとうございました!


パティシエさんだろうか、お名前やお店をもっと詳しく聞けば良かった

 
 こちらは、「仙台あおばスイーツ」のお二人。仙台青葉スイーツは、仙台市が仙台市内のパティシエの方々とコラボレーションした復興企画。仙台産の健康野菜を使用して、野菜の素材感を生かし、あおばをイメージしたスイーツを作ること。このコンセプトのもとで、今までにロールケーキや和菓子など、数々のスイーツが誕生した。

 ・仙台青葉スイーツ 伊達美味 あおばスイーツのお話




 こちらは青葉山のチーズケーキ(ほうれん草)。大和町吉岡南の田園菓子工房シェフドリームさんの作品。いっぱいあるスイーツの中でひときわ目立っていた。



 こちらは町家カフェ&雑貨の太郎茶屋鎌倉、仙台上杉店さんのふまんじゅう。こちらは私好みだったので、即買いして翌日会社で頂いた。もちもちのお麩の生地にさっぱりめのこし餡、うん、美味しかった! でもこれ本当に青葉スイーツだったのだろうか、今思うと何のお野菜が?? 謎だ。こちらもちゃんと聞けば良かった。








   写真上は、定禅寺通りの前で、宵祭りの最後のフィナーレ的な宵流しの様子。もっともっと良い表情のものがあるかも知れない。撮った写真に目を通せていない、かつ、腕が拙いせいで、申し訳ないが、本当に仙台青葉まつりは活気づいていて、人々は皆楽しそうだった。

 思うが、これからの日本は地方が鍵を握っている。自民党は、首都圏しか目に入っていない。「グローバル化の社会を生き抜くために、首都圏を強化しよう」という政策に躍起だが、そうじゃない、グローバル化の世界と戦うためには、差別化を図れる地方の文化こそが重要ではないか。同じ土俵だけでは絶対に勝てない。領土の大きい国、コストの安い国とどうやって互角に戦えというのだろうか? 独自の文化を打ち出せる地方の魅力、その歴史こそが、唯一、万人万国平等のグローバル化と対抗できるすべだ。首都圏は情報力を疾駆して地方文化のサポートに徹してこそ強化が成立するのではないか。・・と私は思うのだがどうだろう? あの石巻イベントを盛り上げたGoogleみたいに※さ。

 ※誕生前夜の石巻でGoogle体験? もしくは、GW日記・・・のその前に。参照



 貴方にも、あの仙台青葉まつりの盛り上がりを見せてあげたかったよ。


 さて、ここからが本題。旅行のお話。






 5月4日の朝一番で石巻に帰ってきた私は、まず日和山へ向かった。日和山公園に生息しているがちょうのがーこと久しぶりの対面、そして満開の八重桜を愛でる。

 いや、本当は、銀行ATMを探していたんだよ。私は余分に下ろすのを忘れてしまって、旅の予算がギリギリだった。ところが、石巻はコンビニが少なくて、日和山に近づくあたりで、地図にあるはずの2件のコンビニが見つけられなかった。どちらも閉店してしまったようだ。

 自民党が首都圏に躍起になっている間に、唯一勝ち残れる武器であるはずの地方はますます衰え、残念なことになっている。もったいない話だ。勝つ気がないとしか思えない。
 ATMを見つけられなかった私は、少し寒い懐で、予算を危惧しながら旅立ったんだ。まるで今回の旅の象徴みたいだった。あるだけのもので、どれだけ楽しむことが出来るのか。

 ちょっと抽象的な話し方だけど、日本も、私も、お金だけの話じゃない、今までの世界の価値観を基準にしたら、もう精神的に資源的にも全て瀬戸際、ギリギリしか持っていない。そんな感じだ。
 だから多少の不安と飢餓感を覚えながら、それでも初めて訪れる田代島、網地島と、黄金花咲く神の島、金華山を夢見て旅立った。



こちらが網地島ライン㈱石巻発着所 ここで切符を購入
予約購入できないので当日並ぶ

発着所の中 若者が多い! なんだこの盛り上がりは 
後から後から若者がやって来る


 写真上は、石巻の網地島ラインという汽船乗り場。

 ・網地島ライン

 並んで待つこと数十分・・




  網地島ライン9時出発、ブルーライナーがやってきた。


石巻から田代島の大泊、仁斗田、網地島の網地、長渡、
そして牡鹿半島の鮎川まで行くのが運行のフルコース


 網地島ラインはブルーライナー、みゅう、マーメイドの3種類の船があり、1
日に7便程運行している。(運行についてはこちらのダイヤを参照)

 ちなみに私は、4日に田代島と網地島をめぐり、4日は網地島泊、翌日の5日に網地島から牡鹿半島の鮎川に行って、そこから金華山行きの船に乗り、5日は金華山泊という旅程を組んでいた。
 ところが、皆田代島の往復割引チケットを購入していたようだ。親子と若者が多いなぁ、と思ったら田代島の猫が目当ての日帰り観光(デート)だったらしい。田代島は島の人口より多い、猫が生息していると有名なのである。

 発着所には田代島の案内図(だけ)がカラープリントされて置いてあった。1枚頂いた。絵には猫神社がドーンと中央に、島の案内ポイントにはすべて猫の足跡マークが描いてある。(案内図は)網地島はありませんが、とそっけない発着所の窓口の方。仕方ないので、網地島は、発着所に貼ってある島の案内図を見て予習。
  



 ちと待遇が悪くてかわいそうな網地島を想いつつ。まぁ、いい。とりあえず私も猫は大好きだ。猫を愛でに田代島へ旅立った。

 下は石巻から田代島へわたっている途中のグーグルマップ。私はグーグルマップで自分がいるポイント(現在地)を見るのが大好きだ。

 これは山登りを学んだ時の癖でもあるかもしれない。人間は自分の現在地を知っている限り決して迷子にはならない。貴方も、人生という道で迷いそうになったら、ズームアウトして俯瞰して、自分の現在地を再確認してみることをオススメする。いや、まぁ、貴方に限って迷うということはないのだろうけれど。とにかく私は今自分がいる場所を見るのが大好き、俯瞰してみると知っているつもりで知らなかった新しい自分がふと見つかるという話だ。





 今回は、グーグルマップの絵に文字も書いてみた。青い丸が現在地。田代島、網地島、金華山を回る旅程。まずは田代島へ向かっている。




  ブルーライナーの中から。





 田代島に到着。島を降りると何もない。港とまばらな民家のみ。船を降りた船客は私を含めて2,3組み。そのひと組みのカップルが、私同様、途方に暮れている様子だ。あれだけたくさんいた田代島めぐりの観光客はどこへ行った?

 あとで気がついたが、私が降りたのは田代島の大泊、島を一周して、帰りは仁斗田から船に乗るつもりだった。ところが多くの観光者は初めから仁斗田へ向かったようだ。そうかそうか。なる程。そういうことか。さて、どうするか。先ほど発着所でもらったフルカラーの地図を見る。まずは島中央の猫神社へ向かおうか。ふと、神社が目に入った。




 小高い山が緑で茂り、その入口にちょこんと鳥居、山の中腹から社殿が顔をのぞかせている。写真はわかりづらいが、その様が、なかなか、だった。
 なかなか、って何よ、と突っ込まれそうだが、いや、まるでいにしえの自然信仰を具現化したような神秘的な雰囲気・・というより、風吹かれてざわつく緑が鬼気迫る・・・ というか、いやそれも言い過ぎだ、とにかく自然がリアルで、かなりの迫力だ。吸い込まれるように近付いて、石段を上っていった。

 不思議な感覚だった。石段を上っている最中も、自然に誘われている感覚が始終離れない。今まさに違う世界に足を踏み入れているような感覚に陥る。



森を破って現れた鹿嶋社


古い小さな神社だがこちらも威厳有り 鳥肌が立った


 森を破ってどんと現れたのは鹿嶋社。鹿島神社というらしい。宮城の人はどこまで鹿が好きなのか。鹿島とか、金華山の神鹿とか・・

 念入りにお参りして、振り向くと。おお、海がきれいだ!





 この自然信仰的な鹿島神社にやられた。
 猫神社の島、と、本当は多少舐めていたふしがあるのだ、猫だけに? (ダジャレ失礼)
 人気の猫に頼って島おこしをしなければならないほど、今は人々が離れた寂れた島であるのだろうと。だが、この初めの一発の鹿島神社で完全にノックアウトされてしまった。

 何だかわからないがこれは凄い。人々がたとえ離れても、その価値は寸分も変わっていないところなのだ。

 逆に、先ほどのフルカラーの地図を見て、妙に罪深く感じてしまったほどだ。招運、猫脚型マーク、猫神社などというゆったりのんびり田代島散策マップ、いや、どうでもいいだろう、と。開運だの招運だのをアピールしなくても、ここは存分に素晴らしい場所であるのに。アピールしなくてはならない切なさというか、それともアピールしてしまう無邪気さというか。
 




 鹿島神社のあとは、中央の猫神社へ向かう。

 一本径・・のはずだが、地図をよく見ると大泊からの一本径は微妙に猫神社を逸れている。途中まで歩いたが、これは違うかも・・と思い直して、引き返した。一本となり(と思われた)の猫神社へ続く道への入口を探しながら歩いていると、前からおじさんが運転する軽トラックがやってきて、

 「乗っていいよ」

 荷台には、先ほど見かけたカップルが既に乗っていた。




 大泊から猫神社はやはり一本径、私が歩いていたあの道で良かったそうだ。おじさんは、数少ない貴重な島の人のようで、猫神社で私を下ろしてくれたあと、猫神社と並ぶ田代島の名物、マンガアイランドへの行き方を丁寧に教えてくれた。島の地理に詳しい。また、猫神社の椅子で昼寝していた猫を指して、

 「あれが神様。いつもここにいるから。猫神社の神様って呼んでいる」

 とグレーの綺麗な猫のことを教えてくれた。猫神社の神様! と高揚した私だった(写真を撮りまくった)が、この神様説は若干怪しい。帰りに、島のお土産を売っていた方に聞いたところ、猫神社に神様と呼ばれる猫はいない、ときっぱり。ただ、近頃、猫神社に住み着いている猫はいるようだ、というお話だった。

 なので、田代島の猫族を代表する「神様猫」かどうかは、真偽の程はわからないが、とりあえず、猫神社に生息している綺麗な猫であることは確かだ。そのグレーの神様猫は写真下。一緒に記念撮影をした。


こちらが島の中央にある猫神社


神様登場

かわゆす

一緒に記念撮影 ハイポーズ

こちらは旅行者の方に撮ってもらった

 猫神社に着くと、先客の旅行者が2組、またそのあとも旅行者が現れて、人が途切れることがなかった。
 この島中央の猫神社を境に、寂れた田代島から、若者に人気の田代島に大変身した、という印象だ。猫が多いのは島の南の仁斗田の集落である。仁斗田が近づいたためか、それとも時間のせいもあるだろうが、大泊から仁斗田へと続く一本径も賑やかになってきた。ゴールデンウィークの暑い日差しの中、仁斗田に向かって歩いていくと、間を置かずに、親子連れ、女子たちの団体、若いカップル、カメラを持った男性(こちらも20~30代)が現れる。誰かしらに必ずすれ違うのである。






 話を戻して、猫神社の祠の前には絵や文字の書かれた可愛らしい石がたくさん積んであった。

 ウィキペディアによると、田代島が猫を祀っているのは、猫で島おこしというわけではなくて、かつて養蚕が行なわれていた時分の名残だそうだ。田代島では、古くから、カイコの天敵であるネズミを駆除してくれる猫が重宝されていた。
 また、江戸時代後期から始まった田代島型のマグロ漁も大きかった。島内には、漁師が寝泊りする作業小屋兼宿泊所が増えて、漁師たちの食べ残しを求める猫が集まるようになった。漁師と猫との共同関係が生まれ深まった。猫の動作から天候を予測する風習が生まれたのだそうだ。

 ある日、漁の網を設置するための重しの岩が崩れて、岩が猫に当たり猫が死んでしまった。心を痛めた網元が猫を葬ったところ、大漁が続いて、海難事故もなくなった。それ以来、島の人は猫を大切にするようになった。

 なるほど、だから猫神社なのか。石を捧げているのも、岩に当たって死んだ猫を供養しているのだろう。

 ただし、現在では、島の猫はそう大切にされていない節もあるようだった。これもウィキペディアに書いてあった島民感情のアンケートによるが、それだけではなくて、実際、私が目にした猫は、健常な個体が珍しく感じるくらい、ほとんどの猫が病気を持っていた。特に目が(目ヤニで)潰れている子が多かった。
 誤解の無いように言っておくが、猫たちは放ったらかしにされているわけではなくて、島には獣医も来ているそうだ。捕まえられる個体はなるべく捕まえて治療をしていると聞いた。だが、すべての猫は捕まえられないそうだ。野生だから色々と大変なのだろう。

 だが、それにしても、もう少しどうにかならないものか、と感じたのも事実である。可愛い、と猫を見に、大勢の旅行者がやってくるのだ。古くから共存関係にあり、海難事故から守ってくれる猫神だという話だ。もし、島方たちだけでは解決が難しいならば、県や猫の愛好団体が少しでも動いてくれるとありがたいが。
 
 写真下は、祠の横に移動した「神様」。この子は病気もなく、目がぱっちりして綺麗。





 猫神社の周りにある猫石(丸っこいのが特徴)をいくつかもらってきた。猫の供養に使いたい方に分けてあげたいと思う。




 帰り間際、振り向くと「神様」はまた定位置に。
 さようなら。また遊びに来るね。




 仁斗田までの一本道をどんどん行く。学校が現れた。正確に言うと小中学校跡。田代島の教育は平成元年に終わりを告げている。ここに通う子供がいなくなってから、既に26年もの時が経っているというわけだ。







 二宮金次郎が切ない。もう彼を真似る子供はいない。私の子供の頃通った小学校にも、二宮金次郎は燦々と掲げられていたっけ。現代の(二宮金次郎)批判など、あの当時は予想することもできなかった。

 そう言えば、先日、「GOOD JOB!(グッジョブ)神去なあなあ日常」という映画を見た。私が大好きな森のお話だ。お世話になった方が誘ってくれて、大喜びで見に行ってきた。その節はお世話になりました! ありがとうございます!

 その神去村のことを今ふと思い出しのたのである。架空の神去村は、田舎の中でもさらに僻地の過疎の村、そこに受験に失敗したイマドキの若者が気まぐれにやってくる。林業の仕事に従事しようというのである。
 イマドキの若者(現代の価値観に染まった今の私たち)の目を通して、過疎の村の現実が晒される・・・・

 はずなのだが、不思議なことに、この神去村、子供がウヨウヨといるのである。心に残った印象的なシーンは、すべて子供がらみのものだった。最後の最後に、私が胸に詰まって泣いたところも、主人公と子供の別れのシーンだ。

 あれ、なんかこんなのあったな、子供との別れのシーンで、近年大泣きした映画・・・ そうだそうだ、昭和30年代の「古き良き昭和の時代」をノスタルジックに描いた「ALWAYS三丁目の夕日」である。

 「ALWAYS三丁目の夕日」は夢だった。私たちの昭和という時代の記憶を、その幻想を、ギュッと濃縮して閉じ込めた典型としての物語だった。義理と人情にあふれた温かい時代、そしてそこには必ず大勢の子供たちがいたのである。

 神去村のイマドキの若者は、コンビニがない、ATMがない、と右往左往するわけでもない、イマドキの彼(私たち)が対峙したのは、「現代の過疎の村」の実情などではなくて、まるでオールウェイズ、古き良き時代の典型である。

 その幻想である。

 ああ、そうか。作者は、あそこへ帰れと、もしくは、あそこを今度こそ作れと、そう言っているのだな、と思った。

 おそらく、「GOOD JOB!(グッジョブ)神去なあなあ日常」を見たら、貴方も、そんなふうに思うだろう。ラストに、イマドキの主人公が、今の価値観に染まっている世界に戻ってきて、(父親と母親が住んでいる都会)そこが自分のいる場所ではない、と気が付くように。
 思わなくても、やはり何かがおかしいな、と首をかしげるはずである。田代島の学校教育は26年前に終わった。とうに子供が消えた今というこの世界を。





 田代島の一本径から海が見えた!
 真っ青で驚かされた。天気が良かったことも幸いだった。この美しい海を見る子供たちがいない。なんだか残念でたまらなかった。




 イマドキ風の若者は次々歩いてくる。それだけが救いだろうか。田代島が愛されている所以か。




 ある民家の前で猫がたむろしている。
 旅行者なのか、島人なのか(その割に若い、旅行者風の格好)慣れた手つきで、猫に餌をあげている。首をかしげていたら、バイクに乗って猫おじさんが帰ってきた。餌あげておきましたよ~、と報告する女子たち。





 だが、残念ながらアップを撮ろうとすると、目ヤニや奇形(病気?)の姿が目立って、絵にならない。可哀想になってしまう。またしばらく歩くと、道の先に猫が見えた。うん? こちらは猫だけではなくて、若者もゴロゴロしている。必ず、猫と若者はセットになっている。現代では、漁師と猫、ではなくて、若者と猫が共存関係にあるのかもしれない。






 かわいい~ まったり昼寝中の猫。あの猫がかわいいとか、この猫は餌を食べたとか、いちいち私に報告をしてくれる隣の子供。5歳くらいの小さな女の子が懸命に話しかけてくるのだった。

 写真下は商店(閉店)の階段がまるでひな壇。そのひな壇に並ぶ猫と若者(カップル多し)たち。猫は若者が振りまく魚肉ソーセージやさきイカを狙っている。





 可愛いネコを発見した。目も綺麗だ。注目していると、カップルの男子が、さきイカをかざして、「伸びるよ、伸びるよ」と予告をする。



 すかさずカメラの準備。



 あ~、伸びるの、わかっていたのに取り損なった。手が切れてしまった。

 

阿部ツ商店さん 田代島唯一の食料品店

 さて、次はマンガアイランドへ。




 ここでも猫がお出迎え。


 道々に「古き良き時代」の神社。



 そしてまた若いカップルとすれ違い、マンガアイランドへ。


 相変わらず海青し。


 おとぎの国のようだ。。


 きたきた。猫がお出迎え。そして、また丸い石がここにもいっぱい。



 漫画アイランドでしばらく休憩した。009を読んでしまった。相変わらずどこから読んでも面白い漫画だ。




 こちらは竹宮惠子さんのサイン。


 こちらはモンキーパンチさん。



 里中満智子、ちばてつやなど、有名な漫画家の名前のついたロッジがある。彼らがデザインしたのだそうだ。宿泊して、アウトドアを楽しむことができるという。今度ぜひ泊まってみようと思う!

 ・マンガアイランド








現在地


 とにかく嘘のようにいい景色だ! 海がきれい。気分も最高である。




 道々で猫神様に出会うのもいい。道の前からふらりと現れては、ぺたりと座り込んでこちらを見やる。その様が、何とも言えず可愛らしい。











 お土産を売っていたので、頑張ろう田代島の猫の写真を頂いた。いろいろお話させていただいた島の方、その節はありがとうございました!

 


 頑張ろう田代島と同じ場所で撮影した。
 猫のカップルの代わりに、ベンチには人間のカップルが。若い男女が仲睦まじく座っていて、それまた妙に微笑ましく感じられた。猫も人間も変わらないなぁ。





 網地島行きの船を待っているところ。網地島ラインがつく場所が分からず、石巻発着所に電話して訊いてしまった。仁斗田の港の一番奥にある。目印は下の白い待合所。えー、これ待合所だったのか。気がつかなかった。



 きたきた! 網地島行きのマーメイド。


 おお、人がたくさん降りる。さっき(私が着いたとき)の大泊とは大違いだ。




 なんと網地島に向かうのは私一人だった。周りに人はいたが、誰も乗らないので、様子を見ていた私は危うく乗り過ごすところだった。碇(ロープ)を上げ始めたので、「あっ!乗ります」と慌てて自己申告。「これから網地島へ行くの?! 一人?」と怪訝そうな顔をされる始末だった。


田代島を出発




 いや、楽しかった。田代島。自然信仰に満たされた「良き時代」の記憶をたくさん感じることができた。猫も最高に可愛かった。


 たくさんの満足に溢れながら、さて、次は網地島だ!

 ここでは、またドラマがあったのだが、それは次週の話。
 ではまた。良い休日をお過ごしください!





WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜
Blue-rayスタンダード・エディション




☆彡おまけ☆彡
市会議員選挙の候補者。あべとしきさん。




☆彡おまけ2☆彡

#Interitus Ishinomaki Recap 



石巻!ISHINOMAKI、かっこいい!!(^◇^)




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